いやしを求める信仰に制限をかけない
…百人隊長は、イエスのことを聞き、みもとにユダヤ人の長老たちを送って、しもべを助けに来てくださるようお願いした。…百人隊長は友人たちを使いに出して、イエスに伝えた。「主よ。わざわざおいでくださいませんように。…ただ、おことばをいただかせてください。そうすれば、私のしもべは必ずいやされます。…」これを聞いて、イエスは驚かれ、「あなたがたに言いますが、このようなりっぱな信仰は、イスラエルの中にも見たことがありません。」使いに来た人たちが家に帰ってみると、しもべはよくなっていた。 ルカの福音書7章1節~10節
先週は、アンデレ神学校の新年度で、入学式、卒業式がありました。また4月のバサーでの皆さんのご奉仕により150万円を超える収益が与えられ、全て伝道のために捧げられます。多くの恵みに心から感謝しています。
私たち人間は愚かで、何事も制限や規制がなければ大変なことになりますが、神の働きや、癒しを求める信仰に制限をかけてはいけません。
今日の箇所は、百人隊長のしもべの癒しについてです。同様の物語が、マタイ8:5以降にも記されていますが、それぞれの視点や、信仰、霊的強調点や味わいなどに違いがあります。今日のこの聖書箇所から、信仰には制限をかけてはいけないということを知りたいと思います。
1.イエスの偉大さに制限をかけない
受洗した頃は、「救い主イエスが私を友と呼んでくださる、凄いことだ」と涙をもって感謝したあなたが、信仰生活が長くなるうちに、慣れっこになってしまい、イエスの持つ価値を小さなものにしてしまっていませんか? 慣れて習慣化すると本来の価値が薄れてしまいがちです。確かにイエスは私たちの友となって下さいます。しかしイエスが偉大なお方であることを忘れてはいけません。百人隊長は配慮があり、ユダヤ人を支配しているローマ軍の長である自分がイエスに会えば、あらぬ誤解を受けてイエスに迷惑をかけてしまうかもしれないと思い、信頼できるユダヤ人の長老たちに頼み、イエスにしもべの癒しをお願いします。また、「あなたをお入れする資格はありません」と言います。この世的には、占領軍である彼の立場の方がユダヤ人より上でしたが、彼はイエスの偉大さとその権威を認めてイエスのお言葉を望んだのです。神の御子、すべてを裁かれるイエスが、私たちの祈りを聞いて下さることに感謝し、その偉大さを喜び認めて謙(へりくだ)り祈る者となりましょう。
2.イエスの御業に制限をかけない
イエスを信じ、お言葉をいただければ、しもべは必ず癒されると、百人隊長は信仰告白をしたのです。私たちは、医学的な常識や医者の診断で頭がいっぱいになり、信じきれないことがあります。しかし、しもべが死にかけていようと必ず癒されると百人隊長が大胆な告白をしたように、イエスを信じることに制限をかけてはなりません。私たちには「必ず」はありませんし、失敗の方が多いかもしれませんが、イエスはそうではありません。イエスには必ずできるのです。信じて、制限を付けないで祈りましょう。
3.自分の信仰の成長を制限しない
百人隊長の信仰にイエスは驚かれ、周りの人々にも 「このような立派な信仰は見たことがない」と語られました。わざわざ周りの人々に言ったのは、イエスが周りの人々へも信仰の成長を促されたからでしょう。「私の信仰は、もうここまで」とか、「信じられません」等、自分の信仰の成長に自分で歯止めをかけてはいけません。イエスはあなたを立派な信仰へと導こうとされています。イエスが喜ばれるような成長し続ける信仰を与えられましょう。百人隊長のしもべはイエスのお言葉で癒されました。私たちも、この同じイエスに100%の癒しを求めて祈りましょう。