神によるいやしを信じよう!
御使いは答えて言った。「聖霊があなたの上に臨み、いと高き方の力があなたをおおいます。それゆえ、生まれる者は、聖なる者、神の子と呼ばれます。ご覧なさい。あなたの親類のエリサベツも、あの年になって男の子を宿しています。不妊の女といわれていた人なのに、今はもう六か月です。神にとって不可能なことは一つもありません。」マリヤは言った。「ほんとうに、私は主のはしためです。どうぞ、あなたのおことばどおりこの身になりますように。」こうして御使いは彼女から去って行った。
ルカの福音書1章35~38節
昨日は松山市民チャリティクリスマス。皆様が、祈り、集って下さいましたことを、心から感謝申し上げます。あらゆる場面でご奉仕下さることを、本当に嬉しく誇りに思っています。クリスチャンの使命である伝道、証しの業を、このクリスマスに共に行い、福音の種を蒔くことができましたことを感謝します。感動を生み出しているこの集会を通して、人々が教会に通うようになり、クリスチャンとなるよう、更に諦めず祈っていこうではありませんか。
今日の箇所は、受胎告知といわれる有名な箇所です。御使いガブリエルが、神からのメッセージを、救い主の母となるマリヤに対して、「神にとって不可能なことは一つもありません」と伝えます。厳格なユダヤ教の中で、結婚前から男性と付き合うことはありませんから、マリヤは戸惑います。しかし、信じることを選び、「どうぞ、あなたのおことばどおりこの身になりますように」と言います。マリヤは、神が与えて下さったお約束どおり、私の身に起こりますようにと心から願い、見事、救い主をこの世界に誕生させたのです。
同時に、直前に出てくる、洗礼のヨハネの誕生に注目して下さい。祭司ザカリヤは、自分も、妻エリザベツも年を取っているからと、御使いの言葉を信じませんでした。ザカリヤは、ヨハネが誕生するまで、言葉を失い、口が利けなくなってしまいます。
私たちもマリヤのように、人間の了見では分からないことでも、信じることを選ぼうではありませんか。
1.神によって
癒しは、人が起こすものですか、それとも神が与えて下さる恵みでしょうか。私たち人間は、医者の判断と医療の力によって癒されると考えますが、聖書は私たちの頑張りではなく、それは神によってなされると語ります。このクリスマスの物語を通して、この世にお生れ下さったイエスは、「神にとって不可能なことは一つもありません」ということを実現して下さった御方であることを感謝しましょう。今日、私の癒しは、命そのものを生み出される、創造主なる神がして下さると、はっきりと信じようではありませんか。折角、教会に来て祈りながらも、人のものであるかのように、お医者さんの力に頼るだけでは、奇跡は起こりません。私の求める癒しは、神がして下さると、はっきり意識してまいりましょう。
2.神にとって不可能なことは一つもない
私たちは、癒しを神の業であると認めながら、できるかできないかと気にする不完全な者です。イザヤ書55:11に「わたしの口から出るわたしのことばも、…必ず、わたしの望む事を成し遂げ、わたしの言い送った事を成功させる」とあります。神にとっては、できるか、できないかという不確かなことは存在しません。ですから、自分の不確かな心の中に、癒しの業を引きずりおろす、愚かなクリスチャンになってはいけません。神が語られるなら、全部、事実となっていくのです。「わたしは主、あなたがたを癒す者である」。神の癒しの約束は変わりません。ですから、戸惑いがあろうとも、マリヤのように、あなたの御言葉のとおりなりますようにと、告白しましょう。神の恵みを疑ったり、割引いたりしないで、御前に立ち、御言葉どおり、この身になりますように、神にとって不可能なことは一つもありませんというこの御言葉によって、祈ってまいりましょう。