心の原動力としての ー感謝ー を持つ
主よ。私はあなたをあがめます。…あなたは私のたましいをよみから引き上げ、私が穴に下って行かないように、私を生かしておかれました。…夕暮れには涙が宿っても、朝明けには喜びの叫びがある。私が栄えたときに、私はこう言った。「私は決してゆるがされない。」…あなたは私のために、嘆きを踊りに変えてくださいました。あなたは私の荒布を解き、喜びを私に着せてくださいました。私のたましいがあなたをほめ歌い、黙っていることがないために。私の神、主よ。私はとこしえまでも、あなたに感謝します。 詩篇30編1節~12節
あなたの心の原動力は何でしょうか。何があなたをやる気にさせますか? それがお金や妥協では悲しいだけです。クリスチャンは、神からの喜び、賛美、感謝を心の原動力することができるのでなんと幸いでしょう。今年の私たちの教会のテーマは、「Thankful」です。私たちクリスチャンにとって、「感謝」はとても馴染み深い言葉で、挨拶用語のように用いたりもしますが、それだけでは、勿体無いと思います。その奥行きの深さをぜひ味わい、心に定着させてほしいと思います。今日も感謝にまつわる詩篇を選びました。ダビデの賛歌、家をささげる歌という題名がついていますが、ダビデが様々な困難な状況の中で神に感謝していることが具体的に分かりやすく記されています。このダビデの体験は、私たちの実生活の中でも起こることで、私たちにもリアリティーをもって迫ってくる感謝であることは言うまでもありません。この詩篇は、4連から成立しています。各連で、私たちの「感謝すべき理由」を見ていきましょう。
1.信仰による実体験がある
「私の神、主よ」と神に祈り、より頼むことができることは、なんと感謝なことでしょう! これは単なる強がりではなく、架空の概念でもなく、実体験に基づくものです。「神は、私をよみから引き上げ、助けて下さった」。よみのような、絶望のどん底、死んだも同然の状態ですが、そのような悲惨な状態の時に、助けを求めると、神は助け、癒して下さいました。その神が共におられるから、精神力や強気の信仰ではなく、私たちは感謝できるのです。
2.ゆるがない神の恵みがある
クリスチャンになったからといっても、試練、困難、災いがなくなるわけではありません。けれど、「朝明けには喜びの叫びがある」。どんなに辛いことがあっても必ずそれに勝る神の恵みが現わされます。決してゆるがされない、神の保証、神からの安定感が約束されているから、私たちは感謝できるのです。
3.証しする力強い信仰がある
私たちには、神の恵みの証しをする使命が与えられています。ダビデは、「私が墓に下っても、私の血に何の益があるのでしょうか」と、自分が死んでしまったら、恵みの証しをすることができなくなることを切々と神に訴えています。感謝する心は証しする信仰を持っています。私たちに与えられているのは、臆病の霊ではなく、力と愛と慎みとの霊です。神からの恵みを大胆に力強く証ししましょう。
4.神の御業により明日への希望がある
「あなたは私のために、嘆きを踊りに変えてくださいました。あなたは私の荒布を解き、喜びを私に着せてくださいました」(11節) 。神の御業、奇跡はなんと素晴らしいことでしょう! 神は、不可能、絶望を恵み、喜びへと変えて下さるのです。このことを感謝せずにはおれません。ダビデ自身も12節で「私はとこしえまでも、あなたに感謝します」と記しています。不可能を可能にする神は、将来の恵みを約束し、希望を与えて下さる神です。
神に感謝すべきこれらの理由を心に植え付け、心の内側から感謝が湧き上がる者になりましょう。