死を超える恵みへの信仰

さて、ある人が病気にかかっていた。ラザロといって、マリヤとその姉妹マルタとの村の出で、ベタニヤの人であった。…彼女の兄弟ラザロが病んでいたのである。そこで姉妹たちは、イエスのところに使いを送って、言った。「主よ。ご覧ください。あなたが愛しておられる者が病気です。」イエスはこれを聞いて、言われた。「この病気は死で終わるだけのものではなく、神の栄光のためのものです。神の子がそれによって栄光を受けるためです。」イエスはマルタとその姉妹とラザロとを愛しておられた。   ヨハネの福音書11章1節~5節

 

ここまでヨハネの福音書から6つのしるしを学んでいく中で、癒し、信じることのスケールがどんどん大きくなり恵みの度合いが深まっていることを知ってほしいのです。今日は最後のしるしですから、当然クライマックスとしての大きな恵みが期待されます。
イエスが愛していたマリヤとマルタの兄弟ラザロが重篤になり、イエスに直接祈っていただきたいと伝言が遣わされました。この時イエスは、「死では終わらない、神の栄光のため、神の子(イエス)が栄光を受けるため」と不思議なことを言われて2日間も出発せず、弟子たちは理解に苦しみます。このイエスのしるしは、単にラザロに起こること以上に大きなことを私たちに伝えようとしているのです。

1.病気や死さえも超える神の御業がある

病気が行き着く究極の場は死です。この私たちにはどうしようもない、死をも超える神の御業があることを教えようとされました。マルタとマリヤは、イエスの行動が理解できずに、どうして早く来て癒してくださらなかったのですかと言い、周りの人々も死を前に落ち込んでいました。けれどイエスは、わざわざ出発を遅らせ、完全に死ぬのを待っておられたようでした。ご存じのように、この後、死んだはずのラザロが生き返える奇跡が起こります。それによって、イエスには死の現実さえも超える神の力があるということを7つ目のしるしとしてはっきりと教えてくださいました。
私たちの理解できる範囲を超えるまでの奇跡、神の御業を信じるよう心を開きたいと思います。「もし神が共におられるならば」というところまで信じる者になりましょう。

2.神の栄光のため

天地宇宙を創られた神にはどんな力があることでしょうか。その神の栄光がほめたたえられるように、神に祈り、そして、神が御業をなしてくださることがわかるようにと、これらのしるしを用いられたのです。しるしを通してイエスを神の御子、救い主であると信じるならば、神の栄光を見ることができるのだということを教えてくださったのです。失敗の多い私たちですが、イエスを信じて従うなら、神の偉大な力、恵みを体験できるのです。

3.神の御子イエスの素晴らしさ

「わたしを見た者は父なる神を見たのです」と語られるように、イエスを信じることがよみがえりと命の入口なのです。そのことで御子イエス・キリストが栄光を受けるのです。人は神の恵みが無ければ死んで葬られるだけです。その思いからイエスは涙を流してくださいました。そしてイエスが父なる神に祈って「ラザロよ出て来い」と声を発すると死んでいたはずの人が生き返ったのです。人々は大変驚きました。
7つのしるしを見てきた私たちは、それを通して最大の信仰の奥義を知ることができるということを信じましょう。まず、イエス・キリストは、神が共におられ、救い主であり、父なる神を現される御子であるということ。そして、イエス・キリストを信じる時に私たちは、神の与えてくださる命と救いに与ることができるということ。そして万事休すという時に、それを超える神の可能性と命とご計画があることです。死を乗り越える究極の恵みがあるところまで信じましょう。