恵みにより働く
最も大切なこと…、キリストは、聖書の示すとおりに、私たちの罪のために死なれたこと、また、葬られたこと、また、聖書に従って三日目によみがえられたこと…。私は使徒の中では最も小さい者であって、使徒と呼ばれる価値のない者です。なぜなら、私は神の教会を迫害したからです。ところが、神の恵みによって、私は今の私になりました。そして、私に対するこの神の恵みは、むだにはならず、私はほかのすべての使徒たちよりも多く働きました。しかし、それは私ではなく、私にある神の恵みです。…
コリント人への手紙 第一 15章1節~11節
インド伝道において、素晴らしい主の御業が現わされています。最終日の集会がますます祝福されますように、また、日本でも同じ主による救いといやしの御業が現わされますように祈りましょう。私たちも用いられましょう。そのためにパウロが用いられた鍵である「恵み」を知りましょう。
1.自分への恵みを知る
パウロが用いられたのは恵みを知ったからです。「神の恵みによって、私は今の私になりました」。神の教会を迫害し、使徒と呼ばれる価値のない自分を救い、使徒として用いてくださる神の恵みを知ったのです。恵みとは、受ける資格のない者に与えられる贈り物を意味します。恵みを知るとき、私たちは、キリストの弟子として用いられる資格がなくなることを、もはや恐れません。なぜなら、最初から、そんなものはないからです。用いられる資格のない者を用いてくださるのが主の恵みなのです。だから、「私なんかダメです」と言わなくてもいいのです。そんな私を用いてくださる主の恵みがあるのです。私たちは、この恵みにより働くのです。
2.自分だけでない恵みを知る
「キリストは…私たちの罪のために死なれた」とあります。キリストが死なれたのは、「私」だけでなく、「私たち」のためなのです。私たちは恵みにより救われました。それは、「すべての人を救う神の恵み」(テトス2:11)です。恵みですから、救われるのに資格はいりません。誰でも救われます。だから、この恵みの福音は誰にでも伝えられるのです。そして、すべての人を救う恵みですから、自分だけで抱え込まないで、伝えるのです。パウロは、それを「借金がある」と言いました(参照ローマ1:14)。私たちが受けた恵みは、自分だけのものではありません。他の人々の救いの分まで預かっているのです。だから、早くそれぞれの人に返さなくてはなりません。その人たちに届けられるための恵みだからです。だから、パウロは「私は…返さなければならない負債を負っています。ですから…ぜひ福音を伝えたいのです」(ローマ1:14-15)と言ったのです。自分だけでなく、すべての人のための恵みと知って、パウロが福音を伝えたからこそ、救いは世界に広がり、私たちにも届いたのです。この恵みにより、私たちも働くのです。
3.私の内に主が生きている恵み
パウロは神に用いられました。どれほど多くの人々がパウロを通し、神の恵みに触れて救われ、人生が変えられたことでしょう。しかし、パウロは言います。「それは私ではなく、私にある神の恵みです」。人々を救ったのはパウロではなく、彼の内に生きておられるキリストの恵みです。パウロの内に主が生きておられたのです」(参照ガラテヤ2:20)。だから、パウロは、自分ひとりが滅びて、その代わりに人々が救われるなら、それでもよいとまで言えたのです(参照ローマ9:3)。それは、人間の思いを超えた主の御心です。すべての人々の罪が償われ、救われるためなら、身代わりに十字架で死なれることをよしとされた主の御心です。誰もそんな愛を受ける資格はありません。しかし、誰でも受けることができるのです。恵みだからです。その恵みが魂を救うのです。私たちは、この恵みにより働くのです。