“終わりの日”の癒しをいただこう
しかし、わたしの名を恐れるあなたがたには、義の太陽が上り、その翼には、癒しがある。あなたがたは外に出て、牛舎の子牛のようにはね回る。 マラキ書4章2節
8月も後半に入りましたが、教会では13日から3日間、兵庫県たつの市で第20回全国聖会を開催でき、共に恵まれた特別な時となりました。全国に同じ信仰、礼拝、賛美、祈りで結ばれている兄弟姉妹がいることを確認できて感謝でした。今回の聖会のテーマ「新しい時代を切り開く」の御言葉である使徒2:17には、「終わりの日に、わたしの霊をすべての人に注ぐ」と記されています。今日のマラキ書ほか旧約聖書の中には「終わりの日」が何度も預言されています。終わりの日には神の霊が注がれ、神の霊に相容れないものは取り除かれ裁かれるのです。
私たちは神の前に汚れを覚える者ですが、今の多様な時代にあって、その選択は正しいのか汚れているのか、常に御心に適う選択を神に迫られていることを忘れないようにしましょう。
1.神の側に立つことを選び取る
21世紀を生きていく時、まずシンプルに選択することが必要です。テレビやインターネットで簡単に見られる情報により、人を批判したり呪ったりするのが当たり前のように思えてきます。しかし、神への恐れが知恵の始めと書かれているように、それが神に喜ばれるものか、それとも悪魔にチャンスを与えてしまい魂を汚していくものか考えなければなりません。私たちの生活が本当に祝福されるために、神の聖い御霊にふさわしく、人を赦し、愛し、助け合うことを選び取って神の側に立つ者となろうではありませんか。これが癒しを受けるための準備です。
2.神の臨在のあるところには癒しがある
主の御名が唱えられる所はどこでも神の癒しが現わされます。神と結びつく時、私たちの命は生き生きと元気になるのです。私たちの神は、無から有を生み出す創造主なる神、命の与え主です。そして、まず私たちにご自身を現わされる神です。祈りが、ただ神に漠然と感謝をするだけや、言葉だけ重々しく立派なお祈りに終わることのないようにしましょう。神の命にふさわしく元気にされるようにと、本当に今日、具体的に癒されることを求めて祈りましょう。
3.神の恵みを体験すると喜びがわき上がる
泣くことや相談だけが上手で、牛舎の子牛のように跳ね回ることのできない人がいます。自分のありのままの姿で喜べる者になることが大切です。飼い犬が飼い主と散歩に出る時、一生懸命喜んで駆け回るように、私たちがイエスに会う時、喜びが溢れるほどの癒しが現わされるはずです。
聖霊に満たされて新しい時代が開かれていることを感謝し、古びて落ち込んだ弱い過去の時代にとどまらないように。神の御名を呼び求めるとき、主の恵みは朝ごとに新たなのですから。
悪魔に隙を見せ悪や罪を選ぶのか、神の側に立ち義や正しさを選ぶのか、選択を迫られています。
そして、私たちの信じる神は、命をくださった創造主なる神ですから、私たちを癒すことくらい簡単にできます。神の恵みに癒しは含まれているのです。
さらに、単なる癒しではなく、完全に癒され元気にされたと感謝でき、喜ぶことができるところまで恵みを頂きましょう。聖会の場だけでなく、この礼拝にも、日々の生活にも聖霊が働かれます。