キリストによる特別な出来事
ご承知のように、あなたがたが先祖から伝わったむなしい生き方から贖い出されたのは、銀や金のような朽ちる物にはよらず、傷もなく汚れもない小羊のようなキリストの、尊い血によったのです。キリストは、世の始まる前から知られていましたが、この終わりの時に、あなたがたのために、現われてくださいました。あなたがたは、死者の中からこのキリストをよみがえらせて彼に栄光を与えられた神を、キリストによって信じる人々です。このようにして、あなたがたの信仰と希望は神にかかっているのです。
ペテロの手紙第一1章18節~21節
2012年後半の最初の1日に、こうして礼拝することができる恵みを感謝します。
この1年を歩み始める時に「プラクティカ」=「信仰を実践する」という目標を掲げたことを覚えているでしょうか。イエスを信じて生きるということを、ただ知識や頭に置いておくだけではなくて、毎日の生活の中で実践していきたいと思います。
ここまでの半年間はどうでしたか。イエスを信じると、私たちから出る言葉や、人生のあり方、魂そのものが変えられますね。海外伝道へ出かけた時にもつくづく感じさせられることがあります。言葉や文化が違っていても、共に祈る時、同じクリスチャンとしての魂の結びつきを強く感じます。求めている神は同じなのです。神の子供、家族として、共に信仰を実践し、前進していきたいのです。そして、そのためにキリストによる3つの特別な出来事を受け止めたいと思います。
1.主イエス・キリストが成就された出来事
イエスの偉大さには深い真理があります。イエスは単に道徳的に優れていたからすばらしいというのではありません。イエスが私たちの罪の身代わりとなって、尊い血を流して死んでくださったこと、そして死から復活されたという御業を決して忘れてはいけないのです。その事実を単なる知識ではなくて、特別な出来事として受け止めてください。心が、魂が廃れ、もうどうしようもない私たちが、神の御前に本当の命の輝きを持って生きることができるようにと、新しい命がイエスによって与えられたのです。私たちの命の本質そのものを入れかえてくださったのです。それが、主イエス・キリストが十字架で成就された事実なのです。
2.私のための出来事
18、20、21節に「あなたがた」とありますが、これは私たちひとりひとりのことであって、つまり「私」と読みかえなければなりません。…私は…贖い出され…キリストは…私のために現れ…私は…信じる…。他人事で終わらせずに、自分のこととして受け止めたいのです。神の恵みをしっかりと自分自身のものとして頂きましょう。どんなに素晴らしいことがあっても、自分のものとして受け止めなければ無意味です。「救いを頂いているのは私です」と告白し、私のための出来事として喜びたいと思います。
3.救いはすでに実現されている出来事
私たちは、素晴らしいことが起きるというと、何か遠く未来のことだと考えてしまう傾向があります。しかし18節には「ご承知のように」とあります。それは、すでに救いは実現しているということを表しています。現実にキリストは現れてくださいました。私たちはすでにキリストによって信じる者とされ、救われています。神の子供とされているから、私たちはどんなことでも遠慮なく求めることができ、神に近づくことができるのです。十字架の特別な出来事、私のための出来事、すでに救われている出来事、この恵みを受け止め、この年の後半の日々を私たちは共に信仰を実践し、前進していきましょう。