確かな何かがある聖霊の降臨
五旬節の日になって、みなが一つ所に集まっていた。すると突然、天から、激しい風が吹いてくるような響きが起こり、彼らのいた家全体に響き渡った。また、炎のような分かれた舌が現われて、ひとりひとりの上にとどまった。すると、みなが聖霊に満たされ、御霊が話させてくださるとおりに、他国のことばで話しだした。 使徒の働き2章1節~4 節
8月25日には、毎年恒例の納涼祭が行われ、楽しい時間を過ごすことができました。春のバザーを初め、夏の様々な行事やクリスマス会などが毎年行われますが、「主の恵みは朝ごとに新たなり」とあるように、主の恵みは常に新鮮なものですから、私たちもいつも新たな気持ちでそれらに参加したいと思います。
8月も終盤です。2012年の終わりに向けて私たちの信仰をもう一度磨き上げ手入れし、はっきりとした聖霊の体験をしましょう。私たちに語りかけ、働きかけてくださる神は、弱くて迷っている時にも、最善の方法で助けてくださいます。
イエスは復活され天に昇られる前、弟子たちに聖霊の約束をしてくださいました。しかし、弟子たちはイエスの復活、御業を目の当たりにしながらも、聖霊が与えられるまでは、証人として欠点や不足の多い者でした。
私たちはどうでしょうか。クリスチャンでありながらも、信仰生活がぼやけて、神の力を受けずに過ごしてはいませんか。今回の物語を通して、信仰生活の気づきを得て、聖霊の体験をしたいと思います。
1.ある日ある時の明確な体験
この物語での聖霊の体験は、「五旬節」になって「みなが一つに集まっていた時」とはっきり明確な日時が書かれています。「あの時代」「あの頃」というように漠然とは記されていません。そしてこの体験は、弟子たちだけではなく、一緒にいた人々も体験し、誰も否定することができないものとなったのです。誕生日を聞かれると、何月何日どの町で生まれたか明確に答えられますよね。それは否定することのできない、はっきりとした命が生まれた日であるからです。同じように、聖霊の体験も明確なものなのです。
2.通常の霊ではない神の霊
日本にはよろずの神々が伝えられていて、「霊的」と聞くと、心霊とかオカルト現象と思いがちですが、それとは違います。もし私たちを不安に陥れようとする悪霊が少しでもあると感じる時には、私たちを救う神の霊、真理の御霊、聖霊の働きがあることをしっかりと心に受け止めるのです。聖書は、2節「激しい風が吹いてくるような」、3節「炎のような分かれた舌が現われて」と聖霊を比喩的に表し、私たちの五感で感じることができる聖霊の働きがあることを教えています。
3.聖霊の満たしによる変化
4節「みなが聖霊に満たされ…話しだした」と、あの証人としてダメだった弟子たちが、聖霊に満たされた瞬間、使徒として伝道し始めたのです。聖霊が注がれると何かが必ず起こります。ぼんやりしたものではなくて「これだ!」とはっきり自分自身でも分かります。聖霊が注がれた時、イエスの弟子として、神の子として、私たちが愛され、選ばれ救われた意味が分かるように、魂の根底から造り変えて頂けます。イエスを信じているだけでなく、聖霊の力があふれていますか。聖霊の力を体験した“ような”ではなく、この1年の後半に向けて、はっきりと明確に聖霊の体験をしようではありませんか。