御言葉に従って信仰を成長させよう!
使徒たちは主に言った。「私たちの信仰を増してください。」…主は言われた。「…からし種ほどの信仰があったなら、この桑の木に、『根こそぎ海の中に植われ。』と言えば、言いつけどおりになるのです。…あなたがたのだれかに、…しもべがいるとして、そのしもべが野らから帰って来たとき、『…食事をしなさい。』と…言うでしょうか。…『…給仕しなさい。…』と言わないでしょうか。…言いつけられたことをみな、してしまったら、『…なすべきことをしただけです。』と言いなさい。 ルカの福音書17章5節~10節
イエスの弟子たちの信じ方は試行錯誤の連続であり、イエスから叱られることも迷うことも多かったのですが、後のクリスチャンは愛を込めて彼らのことを使徒と呼びました。そんな弟子たちがイエスのところに来て、「私たちの信仰を増して下さい。」と願いました。信仰の分量が増し加えられなければならないと思い違いをしていたのです。信仰の成長のために、イエスは、信仰の働かせ方を教えて下さいました。
1.信仰を行動に移す
信仰を増してほしいと願った弟子たちに、イエスは、小さな信仰でも用いることの大切さを教えて下さいました。弟子たちは神を信じているつもりでしたが、自分で信仰を用いなかったのです。信仰を単に知識で終わらせず、具体的な行動に移し換えてみましょう。あなたの家族に病気や怪我の人がいるなら、あなたが実際にイエスの御名によって、「癒して下さい。」と祈ることです。あなたの周りに、頑張っても何かうまくいかない、心がギスギスして幸せそうでない人がいれば、救われるように祈ってあげるべきですし、礼拝やバザーにお誘いしてみましょう。教会がますます愛に満ち溢れるようになればいいのにと思うなら、あなた自身が人々を励まし、祈り、奉仕してみようではありませんか。
信仰は知識の量や経験の年数の問題ではなく、使っているかどうかなのです。わかっていても、やるとやらないとでは大違いです。クリスチャンとしての信仰を働かせてみて下さい。そうすれば、結果は神が与えて下さいます。
2.もう一歩踏み込む信仰をもつ
二千年前のイスラエルでは、裕福な家には奴隷の身分のしもべがいました。しもべが羊飼いや畑仕事を命じられ一日働き、日が暮れて戻って来て、ちょうど主人の食事の時間で、他のしもべが作った料理が運ばれて来た時、「さあ、夕飯の時間だから、一緒に食べよう。」と言われたりするだろうか、とイエスは当時の人々の常識に訴えかけました。
今のように民主的な時代ではありません。2千年前の人にとっては、しもべはしもべとしての生き方があるから、仕事から帰って来て主人が食事をしていたら、給仕や食事の上げ下ろしをするのが当然でした。本当にほめられるしもべとは、言いつけられたことをしても謙虚で、主人が求める以上のことすらできる者だとイエスは言われます。
与えられた1ミナを使わなかったしもべのように、月並のレベルの信仰で終わるのではなく、1ミナから5ミナを儲けた者のように、与えられたものを精一杯用い、主人に、「良い忠実なしもべだ。」と喜ばれる生き方がしたいのです。自分のしたことを認めてほしいし、しんどいことはやりたくない、それが人の本音でしょう。でも、イエスが私たちのためにしもべの姿をとり、命まで捨てて仕えて下さったことを思い出し、一歩踏み込む信仰をもつ者でありたいのです。
この春、今までしたことのないことをぜひ試してみて下さい。神によって選ばれている私たちですから、新しい恵みが必ず備えられています。