クリスマスの物語の中に働くもの

イエス・キリストの誕生は次のようであった。その母マリヤはヨセフの妻と決まっていたが、ふたりがまだいっしょにならないうちに、聖霊によって身重になったことがわかった。夫のヨセフは正しい人であって、・・・彼がこのことを思い巡らしていたとき、主の使いが夢に現われて言った。「ダビデの子ヨセフ。恐れないであなたの妻マリヤを迎えなさい。その胎に宿っているものは聖霊によるのです。・・・ヨセフは眠りからさめ、主の使いに命じられたとおりにして、その妻を迎え入れ、・・・その子どもの名をイエスとつけた。                                                マタイの福音書1章18節~25節

日本はどの国にも負けないほどクリスマスが盛り上がりますが、礼拝に通うクリスチャンは、人口の0.2%しかいません。無名な私たちですが、イエスの命を宿しているのですから、必死で選挙運動する政治家たちに負けないように、このクリスマスに証しをしたいと思います。
今日の聖書箇所は、世界で最初のクリスマスの物語の場面です。このクリスマスのすばらしさは、美しい愛のある家族の姿にではなく、もっと大きな意味とすさまじい祝福が現されるところにあるのです。

1.救い主の誕生は聖霊による

イエス・キリストの誕生の中で見落としてはならないことは、18節と20節の共通のキーワードとして語られるように「聖霊による」ものだということです。イエスの誕生は、人間の子供の誕生とは全く違う、神の命によって引き起こされた特別な出来事であったというのです。人と人との関わりの中で生まれる命ではなく、神の霊による御子の誕生だったのです。
もしこれが、人間の出会いによるものなら非常にまずい事態です。実際にヨセフはそれで大いに悩んだのです。男女関係の混乱しきった現在の日本とは違います。当時の許嫁ですから、結婚前に妊娠するなどあるまじき事態。その時のヨセフの混乱、戸惑い、怒りは想像を超えるものです。
そのヨセフに夢の中で御使いが語ります。「恐れるな、それは聖霊によるのだから」。イエスの誕生によって、人の考えを超えるとてつもないことが起ころうとしていました。それは、聖霊の業によって行なわれたからこそ事実となったのです。

2.聖霊によって引き起こされること

23節にあるように、イエスの誕生は、神の救いと臨在の預言の成就でした。聖霊の働きにより生まれたイエスがこの世に持ち込んで下さったものは、神が共におられることを私たちが事実として体験できるようになることです。
多くのお祭りは、過去の何かを記念するための行事です。しかし、クリスマスは違います。イエスにより、歪んだ私たちの心が変えられ、永遠の命が与えられるという神からの恵みを、単に昔起こったことではなく、今も私たちが同じように体験するのです。だから毎年、聖霊によって救いと神の臨在を今日も体験できることを感謝し、クリスマスを祝うのです。

3.神に従う人々の存在

ヨセフは人間的に穏便に事を収めようとしました。しかし、御使いからのお言葉をいただいた時、それに従ったのです。マリヤを迎え入れ、父親としての責任を引き受け、イエスという名をつけたのです。イエスとは、神が救いたもうという意味です。
神の偉大なご計画が実現するときには、ご命令に従う人々が必要なのです。マタイではヨセフ、ルカではマリヤにスポットライトが当てられていますが、どちらも御言葉に従ったのです。主の御言葉に従い自分を差し出すとき、主の恵みは事実となります。
聖霊が働くとき、受け止めるべき恵みがあります。主の言葉に従う者を通してそれは事実となるのです。私たちも証し人として自分を整えましょう。