天の御国を受け止めよう

さて、獄中でキリストのみわざについて聞いたヨハネは、その弟子たちに託して、イエスにこう言い送った。「おいでになるはずの方は、あなたですか。それとも、私たちは別の方を待つべきでしょうか。」イエスは答えて、彼らに言われた。「あなたがたは行って、自分たちの聞いたり見たりしていることをヨハネに報告しなさい。盲人が見、足なえが歩き、らい病人がきよめられ、つんぼの人が聞こえ、死人が生き返り、貧しい者には福音が宣べ伝えられているのです。だれでも、わたしにつまずかない者は幸いです。」・・・
                      マタイの福音書11章2節~14節

今日の箇所は、獄中にいたバプテスマのヨハネが、イエスのもとに使いをやって「本当にキリストはあなたですか」と尋ねる物語です。
ヨハネは、天の御国の到来を人々に伝え、キリストの働きのための備えをし、イエスこそがキリストだと、いち早く悟ることができた人であります。そんなヨハネが獄中で、本当に「イエスでよいのか?」と揺らいでしまいました。ヨハネの質問を受けたイエスは、ヨハネの弟子たちに「もちろん、よいのだ」という内容の答えを託し、「わたしにつまずかないものは幸いです」と語るのです。この物語から、私たちがつまずかず、しっかりと救い主、神の国の到来を受け止めるための3つのことを学びたいと思います。

1.自分の理解、イメージに縛られない

獄中でヨハネは、「救い主イエスが、自分を獄中から救ってくれるのでは」と思っていたかもしれません。しかし、その時は来ませんでした。また、天の御国の教えに反対する者たちによって、天の御国が奪われているような状況に失望もしました。ヨハネの理解していたキリストのイメージと、イエスの姿にはギャップがあったのです。それで、「来るべき御方は本当にこの方でよいのか」と迷ったのです。
イエスへの信仰を持ち、イエスに期待することは大切です。しかし、自分の期待通りにはいかないこともあります。私たちの教会や信仰生活についての理解やイメージと現実にギャップがあることがあります。そんな時にもつまずかないために、自分の理解やイメージに縛られすぎないように注意しましょう。

2.救い主のもう一方の事実に目を留めよう

ヨハネのキリスト理解は旧約聖書の預言に基づいており、間違いではありませんが、片手落ちでした。そのイメージが強すぎて、キリストの到来を告げるもう一方の恵みの事実を見失っていたのです。
イザヤ書の救いの到来の預言を用いて、イエスは「盲人が見、足なえが…、貧しいものには福音が宣べ伝えられている」と語られました。ヨハネはこの救い主のしるしに目を留めるべきであったのです。
今回のインド伝道でも、耳の聞こえない人の耳が聞こえるようになり、日本でもムーイ師の集会で、足に力が入らなかった人が、自分で歩けるようになりました。それらを見聞きし、また私たち自身も日々の歩みの中で神様の恵みを実体験させていただいている。その事実に目を向けたいと思います。

3.神の国を進んで受け入れる心を持とう

救いの事実、神の国はそこまで来ています。後はそれを信じ、進んで受け入れるかどうかなのです。
「あなたがたが進んで受け入れるなら、バプテスマのヨハネこそ、来たるべきエリヤだ」とイエスは言われましたが、同時に、キリストも神の国も進んで受け入れてこそ、私たちのものになるのです。「神の国はあなたがたのだだ中にある」と言われたイエスの言葉は、私たちが受け入れてこそ、私たちにとっての事実となるのです。勝手な理解やイメージでせっかくの神様の恵みを台無しにしてしまわないように、救いの事実にもっと目を向けて、神の国を進んで受け入れる心で歩んでいきたいと思います。