聖霊を注がれ遣わされる
…イエスは彼らにこう言われた。「全世界に出て行き、すべての造られた者に、福音を宣べ伝えなさい。信じてバプテスマを受ける者は、救われます。…信じる人々には次のようなしるしが伴います。…わたしの名によって悪霊を追い出し、…病人に手を置けば…いやされます。」主イエスは、彼らにこう話されて後、天に上げられて、神の右の座に着かれた。そこで、彼らは出て行って、至る所で福音を宣べ伝えた。主は彼らとともに働き、みことばに伴うしるしをもって、みことばを確かなものとされた。
マルコの福音書16章15節~20節
今日の聖書は、よみがえられたイエスが昇天される直前に、残された弟子たちにかけられた最後の御言葉です。それは世界宣教のご命令でした。もし生涯の最期に遺言を語るとしたら、無駄な言葉は語らないはずです。ですから、この御言葉をしっかりと受け止めたいのです。
1.福音を素直に伝える
聖霊が注がれ主によって遣わされている私たちは、ひとり分の小さな世界から出て、周りの人々に福音を伝える使命があります。福音とは、言うまでもなくイエス・キリストです。イエスは私たちを愛し、私たちの罪汚れを全部背負って死んで下さり、死の力を打ち破ってよみがえられた救い主です。イエスがいて下さると、私たちを幸せにしないドロドロした欲や心の罪が取り除かれ、私たちの生活が悪魔の力から解放されます。誰でも主の御名を呼び求める者は皆、救われます。この約束は、二千年経っても変わりません。「イエスが幸せの鍵だよ。イエスのお名前によって祈れば、祈りは答えられるよ。」と常に語っていきたいのです。
そもそも、私たちが言葉を語ることができるのは、コミュニケーションのためだけではありません。神を賛美し、神に祈り、人々に福音を語り、神の愛を伝えていくためです。愚痴を語るためだけに口を使ってはなりません。
2.御言葉によって、引き起こされる恵み
イエスの福音を伝えると、第一に、イエスを信じる者は救われます。それは、他のものでは与えることができない、身も心も魂も神の祝福にあずかる特別な救いです。単に身体が元気になるというレベルではなく、私たちの存在のすべてが神の永遠の命に触れ、究極の恐れから解放され、平安と喜びの人生、永遠の命へと招き入れられます。
第二に、「イエスの御名によって悪霊を追い出すことができ、…病人に手をおけば病人は癒される。」とあるように、具体的な御業が伴います。明日からのインド伝道でも、おびただしい数の人が癒されることを信じて疑いません。今までも、背中にできた癌のコブがいきなり消えた人がいたり、手をおいて祈ったらい病の人が翌年に行くと完全に癒されていたり、何年も失語症で話せなかった子どもが一回の祈りで完璧に癒され話せるようになったり、神は数多くの奇跡を現わして下さいました。私たちがイエスの御名により福音を語るならば、悪霊の力に苦しめられている人が、聖霊の力によって解放されます。
3.主が共にいて下さる恵みを実体験する
弟子たちは確かに出て行き、至る所で福音を語りました。なぜ、それが実現したのでしょうか。それは、主が彼らと共に働き、御言葉に伴うしるしをもって御言葉を確かなものとされ、主ご自身の御業を現わして下さったからでした。
あなたはもはや、孤独ではありません。イエスがいつも見守り導いていて下さいます。主が注いで下さった聖霊が私たちの内に働いています。イエスと共にいて勝利を得ましょう。イエスが私たちと共にいて働いて下さり、語られた御言葉通りの御業をなして下さることを心から感謝したいのです。