主キリストと共に歩む過去・現在・未来

…私たちは、キリストの死にあずかるバプテスマによって、キリストとともに葬られたのです。それは、キリストが御父の栄光によって死者の中からよみがえられたように、私たちも、いのちにあって新しい歩みをするためです。もし私たちが、キリストにつぎ合わされて、キリストの死と同じようになっているのなら、必ずキリストの復活とも同じようになるからです。…あなたがたも、自分は罪に対しては死んだ者であり、神に対してはキリスト・イエスにあって生きた者だと、思いなさい。                                      ローマ人への手紙6章3節~11節

私たちは、洗礼を受け救い主イエスと結び付き、神を知らない生まれながらの古い人からクリスチャンという新しい人に変えられたことを知りたいのです。

1.キリストにより清算された<過去>

私たち人間は、弱く足りない所だらけで、自分の力だけでしっかりと生きて行くことができません。ですから、「資格を取っておけばよかった。」、「もっと貯金をしておけばよかった。」と過去は後悔の連続です。「ちゃんとやり直したい。」と思っても、愚かさは変わりませんから、依然としてしっかり生きて行くことはできないのです。神から与えられた人生なのに、後悔の塊のままで死ぬとしたら、残念なことです。
しかし、不完全な私たちのために、命の与え主である神はものすごい解決を下さいました。「キリストの死にあずかるバプテスマを受け、私たちの古い人がキリストと共に十字架につけられたのは、私たちの罪のからだが滅び、今後は罪の奴隷でなくなるためである。」と聖書は語ります。自分では一生懸命に生きたつもりでも、神と結び付いていなかったので魂が汚れていて、どんなに清く生きようとしてもできなかった私たちの過去を清算して下さるために、キリストが身代わりに十字架で死んで下さり、新しい命を与えて下さったのです。私たちクリスチャンはキリストと共に葬られ、過去の罪はすでに取り除かれていますから、心から感謝したいのです。

2.命あふれる新しい歩みの実現<現在>

クリスチャンであるということは、新しい自分を生きるということです。どこかで古い自分を引きずっていませんか。私たちを魂の内側から変えて下さるイエスの恵みによって、新しい命の人生を、今、与えられましょう。イエスと出会い、聖書が語る救いをいただくことがなぜ素晴らしいのでしょうか。それは、イエスの救いは、二千年前のイエスの十字架の死の出来事で終わらず、今を生きる私たちに新しい命が与えられるからです。聖霊にどっぷりと浸り、キリストの愛に満たされた命あふれる歩みができることを喜びたいのです。

3.永遠のいのちにあずかる約束<未来>

「もし、私たちがキリストとつぎ合わされていれば、キリストの復活と同じようになる。」とありますが、キリストの復活とは何でしょうか。それは、人類が例外なく体験する死の力を超えるよみがえりの命が与えられる約束です。政治家や会社の社長さんであっても、イエスを知らない生身の人間のまま生きていると、死は恐いのです。素晴らしいことに、クリスチャンは死が終わりではなく、死の向こうにまで喜びの約束があるのです。そして、永遠の命をいただくと、腰が据わったしっかりした生き方ができる命になるものだとつくづく思います。
私たちの過去・現在・未来すべてをひっくるめて罪の力から解放し、新しい人として生かして下さる恵みを感謝しましょう。これを成し遂げて下さるのは、人間の歴史が何万年続こうと、イエス・キリストしかおられません。キリストと結び合わされましょう。