愛に基づく交わりのあるPracticaの一年

…愛は神から出ているのです。愛のある者は…神から生まれ、神を知っています。愛のない者に、神はわかりません。…神はそのひとり子を世に遣わし、その方によって私たちに、いのちを得させてくださいました。ここに、神の愛が…示されたのです。私たちが神を愛したのではなく、神が私たちを愛し、私たちの罪のために、なだめの供え物としての御子を遣わされました。ここに愛があるのです。…神がこれほどまでに私たちを愛してくださったのなら、私たちも…互いに愛し合うべきです。                   ヨハネの手紙第一4章7節~11節

本物の救い主とは、私たちを愛して下さる方であると使徒ヨハネは語っています。イエスは、私たちのために十字架の上で命まで捨てて下さいました。ここに、神の徹底的な愛が示されています。主の愛が与えられている私たちですから、今度は文句なしに、みんなを愛していきましょうとヨハネは語ります。

1.主の愛の御業である十字架を忘れない

十字架にかかられる前夜、イエスはもうひとつの象徴的な愛を示されました。弟子たちのほこりまみれの汚い足を洗われたのです。イエスは、互いに仕え愛し合いなさいということを自らの行動をもって示されたのです。神は御子キリストをこの世に遣わし、十字架の上で私たちの罪を背負わせ、私たちの身代わりにキリストを裁かれました。それによって私たちは救われ、神の愛がわかったのです。イエスの十字架の死は神話ではなく、歴史上の事実です。私たちクリスチャンはキリストの弟子ですから、キリストの愛をお手本とし、「互いに愛し合う者とさせて下さい。」という祈りを心からお捧げしましょう。

2.神との交わりの中に生きることを喜ぶ

自分ひとりだけの狭い世界に生きるのではなく、兄弟姉妹と共に歩むことが、どうしてそれほど大切なのでしょうか。第一ヨハネ1章3節に、「私たちが見聞きしたキリストを伝えるのは、あなたがたも私たちと交わりを持つようになるためです。私たちの交わりとは、御父および御子キリストとの交わりです。」とあります。「私たちの交わり」とは、人間的な交わりに終わらず、キリストによって救われた者同士の交わりであり、聖霊の働きにより、父なる神、御子キリストとの交わりに入れられることです。互いを愛する愛こそ神の内から出た愛ですから、その愛によって私たちは神との交わりを持つことができます。そして、神が味方であれば、誰も私たちに敵対することができず、この世の歩みの中で何も恐れず歩んで行くことができるのです。

3.神の家族の交わりの中に生きることを喜ぶ

第一ヨハネ1章7節に、「私たちが神と交わりを保っているならば、その交わりは周りの兄弟姉妹との交わりに及び、御子イエスの血によって互いの罪を清め、神に喜ばれる神の家族となることができる。」とあります。私たちは、年齢も、個性も、生まれも育った環境も、仕事も、家庭の雰囲気も、偏差値も違います。でも私たちは主にある家族であり、キリストがひとりひとりの違いを愛して下さった愛で愛し合うことができます。そこに、本物の交わりが生じます。キリストの愛による神の家族がいることを、心から喜び合いたいのです。
キリストからいただいた圧倒的な愛の何万分の一でも、人々に注ぐことができるようになろうではありませんか。イエスは旧約の律法の教えを二つに集約されました。「心、思い、知性、力を尽くし、神を愛せよ。そして、あなたの隣人を自分自身のように愛せよ。」神から与えられた愛は、常に人々へと向かうことを忘れてはいけません。あなたの心の中に、愛で裏打ちされた信仰が働きますように。