神から与えられた時を生きる

…あなたがたは年数からすれば教師になっていなければならないにもかかわらず、神のことばの初歩をもう一度だれかに教えてもらう必要があるのです。あなたがたは堅い食物ではなく、乳を必要とするようになっています。…ですから、私たちは、キリストについての初歩の教えをあとにして、成熟を目ざして進もうではありませんか。死んだ行ないからの回心、神に対する信仰、きよめの洗いについての教え、手を置く儀式、死者の復活、とこしえのさばきなど基礎的なことを再びやり直したりしないようにしましょう。
                ヘブル人への手紙5章11節~6章2節

早いもので、2012年の半年が終わりました。本当に早く時間が過ぎてしまうのですが、あなたはこの半年間をどのように過ごされたでしょうか。1時間であっても集中すれば、充実した価値ある時間となります。ただ時間だけが過ぎるのではなくて、半年の節目を迎えるにあたって、神様から与えられた「時」を生かされているこの祝福を垂れ流しにしないようにしましょう。
このヘブル書5章が書かれた時代では、もうすでにイエスの復活は何十年も前の話となっていました。イエスが天に召された後、聖霊に満たされたペテロやアンデレやヨハネなどの使徒たちの働きで、主イエス・キリストの教会が全世界で成長していました。その教会が誕生して10年、30年、50年と歴史を積み重ねていく中で、神の栄光を現し続けていた使徒たちも天に召される時が訪れ、次の世代へと移り代わろうとしていた時代の御言葉です。

1.積み重ねの信仰

12節「年数からすれば」とありますが、私たちの信仰生活が何年、何十年と経つ中、イエスの教えを聞いて学び、励まされているならばもっとクリスチャンとして大人になりたいと思います。
日数からすれば、2012年のこの半年も1日1日コツコツと事を積み重ねていれば、よりイエスに喜ばれることが実現できたのではないかと思わされます。この御言葉をもって「私の信仰生活の年数からすれば、イエスはもっともっと私に期待しているかもしれない」と主の御心を私たちの心に刻みたいのです。クリスチャンとなって年数だけ重ねるのではなく、時間の経過にふさわしくクリスチャンとして成長していきたいと思います。

2.深める信仰

12節には「堅い食物」とありますが、この堅さはもちろん食物のことだけではありません。14節に「経験によって良い物と悪い物とを見分ける感覚を訓練された人」と書かれている成長したクリスチャンにふさわしい生き方の比喩です。
せっかくクリスチャンになったのですから、世の中的な悪い物に引きずられずに信仰を働かせ、いったい何が神に喜ばれるものなのか考えたいと思います。その喜ばれるものも、質が良いもの、また内容が濃いもの、堅い食物と呼ぶにふさわしいものでありたいと願います。単に日数をかけるだけではなくて、実際に信仰の中身を充実させ深めていきたいと思います。

3.成熟させる信仰

6章1節に「成熟を目指して」とあるように、成熟していくことこそ私たちに与えられたこの命の特質です。愛される側から愛する側へ、いつまでも受身ではなくて、与える側へと変えられていこうではありませんか。イエスに倣う成熟した歩みとなるように御霊によって導かれたいと思います。
毎日の信仰生活の積み重ねから、中身のある深い信仰へ、そしてその信仰を成熟させて聖霊の油注ぎを受け、神様から与えられた時を生きたいと思います。