祝福の前兆をつかむために
主はマムレの樫の木のそばで、アブラハムに現われた。…彼は、見るなり、彼らを迎えるために天幕の入口から走って行き、地にひれ伏して礼をした。…アブラハムは、凝乳と牛乳と、それに、料理した小牛を持って来て、彼らの前に供えた。…ひとりが言った。「わたしは来年の今ごろ、必ずあなたのところに戻って来ます。そのとき、あなたの妻サラには、男の子ができている。」…「サラはなぜ『私はほんとうに子を産めるだろうか。こんなに年をとっているのに。』と言って笑うのか。主に不可能なことがあろうか。… 創世記18章1節~15節
アブラハムと妻サラは、神に導かれ特別な人生を歩み始めていました。12章で、神は、わたしが示す地へ行けと彼らを導かれ、「あなたから子孫が生まれ、あなたは偉大な民族の父になる。」という祝福の約束まで与えられたのです。しかし、その時すでにアブラハムは75才、サラは65才でした。
今日の物語では、それからさらに20数年も経ち、子どもが生まれるなんて考えられない状況でした。でも、神は約束をお忘れになるお方ではありません。神が祝福を約束され、今それが起ころうとしている。その恵みを受け止める者でありたいのです。三つのことを学びましょう。
1.祝福の前兆を見逃さず、受け止める
アブラハムは、家畜の群れを飼いながら、草のある所へと移動する生活をしていました。ある時、アブラハムが天幕の入り口に座り、ふと目を上げると、三人の男が立っていました。彼はすぐに走り寄り、彼らを引き止め、使用人に調理させて、振る舞ったのです。すると、三人の内のひとりが、不思議なことを語り始めました。「あなたは来年の今頃、自分の子どもを抱くようになる。」
失敗も多いアブラハムでしたが、神の御業に対しては霊的な感度の鋭い人でした。ピンときた彼は、三人の男を素通りさせませんでした。彼の信仰の感度です。三人をもてなし、喜ばせた彼に、いよいよ約束が成就するというしるしが与えられます。神には、ご自分の計画とタイミングがあります。信仰の目で物事を見て、その瞬間をつかみ取りましょう。
2.勝負どころで、信仰を働かせる
「来年の今ごろ、あなたはわが子を抱くようになる。」と神の人が言った言葉をサラは天幕の入口の陰で聞いていましたが、夫婦ともに年老いていたので、心の中で神からの約束をばかにして笑ったのです。その時、神の人が問い詰めます。「サラはなぜ『本当に子を産めるだろうか。』と言って笑うのか。主に不可能なことがあろうか。」
勝負どころで、浮ついた笑いやつまらぬ疑いで神の恵みを損なってしまうことがないようにしましょう。神が働き始められる予兆がある時、信仰を働かせて恵みをつかみ取りたいのです。
3.主に不可能はないと信じる
「主に不可能なことがあろうか。」と主ご自身が語られ、二人の老人からイサクが誕生しました。アブラハムは100才でしたが、90才のサラを用いて、主はアブラハムを祝福して下さったのです。
私たちも、せっかくクリスチャンになっているのに、疑いばかりで終わっては残念です。神が働いて、最善をなして下さると信じましょう。時に神は、奇跡の御業で私たちの命を守り、病を癒し、あなたのビジネスを驚くほど祝福し、どうしようもない人間関係を整えて下さいます。
大飛躍元年の締めくくりに向かって、祝福が現わされようとしています。あなたの周りにも、神の祝福の前兆が起こり始めているはずです。それを見逃さないように、招き入れましょう。要所、要所で神には不可能なことがないと信じて、祝福をいただきましょう。