試みに会っても不信仰に陥らない
あなたがたの会った試練はみな人の知らないようなものではありません。神は真実な方ですから、あなたがたを耐えることのできないような試練に会わせるようなことはなさいません。むしろ、耐えることのできるように、試練とともに、脱出の道も備えてくださいます。
コリント人への手紙 第一10章13節
あなたが主イエスを信じ受け入れた時から、イエスの救いは、あなたの全人生を覆っています。問題や不安は誰の人生にもつきものですが、どんな試練に遭ってもイエスを信じれば、素晴らしい恵みが日々の歩みの中に与えられ、勝利へと導かれるのです。
今日の聖書の御言葉は、「なぜ、私だけにこんな問題が。」と思うようなことがあっても、その問題は、あなただけが悩んでいる問題ではないと語っています。これまでも多くの人が同様の体験をしてきたし、今も世界中で同じような試練に遭っている人がいるということです。神の配慮があればこそ起こっていることなのですから、必ず脱出の道が与えられるのです。どんな難しい数学の問題にも答えがあるように、あなたの人生に試練があっても、必ず解決の道が備えられています。
試練に遭った時、注意すべきことがあります。第一コリント10章全体を見ると、「試練は問題じゃない。神が必ず助けて下さるから。ただし、試練の中で生きて働くはずの信仰が弱まることがないように、三つの悪魔の罠に、気をつけなさい。」と聖書は警告しています。
1.偶像礼拝に走らない
イスラエルの民は、430年間のエジプトでの奴隷生活から解放され、約束の地カナンに向かって旅立ちました。ところが、予想以上に困難で時間がかかったので、信仰を働かせられなくなったのです。指導者のモーセがシナイ山に登り、神から律法をいただいて戻るまでの間、彼らは待つことができませんでした。そしてアロンに、「神を造ってくれ。」と頼み、金の耳輪で鋳物の子牛を作り、神として拝み始めたのです。
試練の中にあることは、それほど大きな問題ではありません。あなたの悩みは主に信頼していれば絶対に解決します。しかし、大切なことは、思うようなタイミングで問題が解決されない時、あれもこれもと頼りになりそうなものを探し、神ではないものを拝んだり、自分に都合の良い神々を造るような愚かな行ないに走ったりしないことです。問題から脱出するために心しておくべきことは、「私の神は、主イエス・キリストにおいてご自身を明らかにされた天地創造の神である。」と、はっきりと信仰の告白を貫くことです。
2.目先の楽しみや、世の中の快楽に逃げない
民数記25章には、イスラエルの民がモアブ人の習慣にならい、偶像の前でみだらなことをしたとあります。結婚の枠を踏み越えた男女が、みだらな関わりを持ったのです。神の御業が思うように現わされないからといって、イスラエルの民は目先の快楽に走りました。その結果、主の怒りが燃え上がり、二万四千人が死んだのです。
試練や問題は、主に信頼していれば、絶対に脱出の道があります。でも、それがまだ自分の思うように解決されないからといって、「後は、どうなってもいい。」と、刹那的なその場限りの楽しみ…お酒、性的な快楽、ギャンブルに逃げると、信仰が働かなくなります。主は、私たちが神の御心に従って歩み、御霊に満たされた喜びを持つことを望んでおられます。信仰が働かなくなるような罠に陥ることがないようにしましょう。
3.愚痴や不平不満を言わない
神は、素晴らしい御業により奴隷生活の中から、そして、海を分ける奇跡をもって、神の民を助け出して下さいました。しかし、民数記21章には、荒野での歩みが続く中で、民は我慢ができなくなり、「みじめな食物に飽き飽きした。」とつぶやいたのです。主に信頼して歩み続けるなら、問題が解決せず、敗北することは絶対にないのです。しかし、短気で我慢のできない私たちが、不平不満の奴隷になる時、神の恵みをムダにしてしまいます。
希望に向けての旅だったのに、途中の不安や恐れの中で、イスラエルの民は何度も罪を犯し、神の恵みをムダにしました。それは、私たちに対する戒めだとパウロは語っています。
イエスを信じて救われたあなたの人生には、神のご計画が動いています。あなたの家庭も、仕事も人間関係も、将来の計画も体調も、すべて必ず主によって恵まれます。試練と共に脱出の道を備えて下さる主の約束をいただくためにも、どんな問題や悩みがあっても、信仰の力を発揮して向き合いましょう。信仰を研ぎ澄ましさえすれば、あなたは必ず勝利します。