弱い者に力を注いでくださる主
あなたは知らないのか。聞いていないのか。主は永遠の神、地の果てまで創造された方。疲れることなく、たゆむことなく、その英知は測り知れない。疲れた者には力を与え、精力のない者には活気をつける。若者も疲れ、たゆみ、若い男もつまずき倒れる。しかし、主を待ち望む者は新しく力を得、鷲のように翼をかって上ることができる。走ってもたゆまず、歩いても疲れない。イザヤ書40章28節~31節
今日の聖書の御言葉は、神だけが力強いお方というわけではなく、その強さが私たちにそのまま与えられると約束しています。私たちが自分のありのままの姿を見つめる時、人間として弱さを認めざるを得ません。どんなに頑張っても失敗し、「もうだめだ。」と思うこともあります。でも、私たちが弱いことを神は先刻ご承知で、力強さを与えて下さいますから、感謝しましょう。
神から強められる祝福は、信仰の強い特別な人への限られた恵みではありません。神の無尽蔵の恵みをいただきましょう。
今日、用意した4人の聖書の登場人物は、特別に使命が与えられていました。しかし、確信と聖霊の力に満たされていたから用いられたのではありません。情けない、人には見せたくない愚かな姿がそこにあります。でも、神は彼らを強さで満たして下さいました。イザヤ書40章の御言葉が、それぞれの人生の内に成就しているのです。ひとりひとりを見ていきましょう。
1.モーセ
神は、彼の人生を数奇な出来事の中で導き、イスラエルの指導者として整えられました。彼は、世界屈指の国の王と対決し、神の民を大脱出させました。しかし、彼が自信満々だったから、神に選ばれたのでしょうか。
神は、「モーセよ。パロの前に立ち、『我が民イスラエルを解放せよ。』と宣言せよ。」と命じられました。その時のモーセは、おどおどしていたのです。「神様。あなたが誰なのか、わからないのです。」「イスラエルの民は、私を信用しないでしょう。」「私は口が重いのです。」そんな彼に、神は、「お前を、わたしが遣わすのだ。」と言われました。彼が神の前にさらけ出したのは、文字通り世捨て人であった老人の自信のなさでした。しかし、そんな弱さの中に神は語りかけて力を注いで下さり、彼の本物の人生は、80才から始まるのでした。
2.ギデオン
敵がイスラエルを蹂躙した時、彼は情けないことに酒船の中に隠れ、麦の穂を打っていました。神から声をかけられても、言い訳を繰り返します。「私は、大した者ではありません。私の部族は、大した人数もおらず、勇士もいません。」腰抜けの臆病者でした。そんな柔な男を主は用いて下さいました。神は、彼のことを、「大勇士よ。」と呼び、信じられない彼にいくつもの奇跡を見せ、指導者として送り出し、歴史的勝利を与えられました。最も有名な戦いでは、わずか3百人の兵隊を率い、何万ものミデヤン人の大群を打ち破ったのでした。
戦わずして負けを認めていた弱気な男でも、神が弱さを強さに変えて下さったのです。
3.エリヤ
旧約の時代を代表する預言者ですが、彼の人生には、落とし穴が待っていました。彼がバアルの預言者を打ち破ったにもかかわらず、イスラエルの人々は神に立ち帰らず、女王イゼベルからは、「明日までに、お前を殺す。」と脅迫されたのです。その瞬間、彼の強さが全部崩れ落ちたのです。「神様。全力であなたに仕えて来ました。でも、もう死にたいです。」一度は華やかな人生を歩みながら、燃え尽きた男です。人と会うこともできず、食事ものどを通らず、死ぬことだけを求めている。典型的なうつ状態です。でも、そんなエリヤに対し、神は、改めて強さを回復させる熱いメッセージを語られます。「預言者としての働きを再開せよ。王を任命し、あなたの後継者を選んでおけ。」うつの人に、神は本物の力を与えて下さいます。
4.エレミヤ</p>
彼は、ユダ王国が滅びていく時、何を言われようと神のメッセージを語り続けました。時代の流れに逆らうような力強い働きを行なった預言者。私たちは彼を強い人だと思います。
しかし、神から召しをいただいた時、彼は、若者でした。神は言われます。「若いと言うな。私は、母の体の中で形作られる前から、あなたを知っている。人々の顔を恐れるな。」また、「彼が語る言葉どおりに神の御業が起こる程の、力強い預言者に必ずなる。」と語られ、力を与えられました。経験不足、資格がない、そんな人に対しても、神は力を与えて下さいます。
あなたの生まれながらの弱気は、神の仕事をする時に、妨げにはなりません。戦う前に逃げることを選ばないで下さい。神が導かれる時、キリストの恵みの豊かさは、私たちの抱えているどんな弱さも覆い尽くし、新たな力で満たして下さるからです。このことをはっきりと知らなければいけません。