救い主のこの世に来られた目的

人の子が来たのも、仕えられるためではなく、かえって仕えるためであり、また、多くの人のための、贖いの代価として、自分のいのちを与えるためなのです。                 マルコの福音書10章45節

何か新しい物事を始める時には、二つのパターンがあります。一つは、とりあえず始めてみて、一つ一つの事柄を積み重ねていくうちに、方向性を見つけていく。もう一つは、最初に目標、目的を定めて、その実現のために始める。どちらが良いかという事ではなく、二つの違うパターンがあるという事を頭に入れておきましょう。そして、クリスマスは、明らかに二つ目のパターンです。この聖書箇所でイエスは、この世にお生まれになったその瞬間から、はっきりとした目的があったと明確に語っています。生涯を通して実現すべき大きな目的が最初から備えられていたのです。イエスの御生涯についてここに書かれている明確な二つの目的について見てみましょう。

1.人々に仕えるための御生涯

イエスが私たちに仕えてくださる、これはイエスの御生涯の特徴です。イエスは、神の御子、王の王としてこの世にお生まれになりました。王家の子ならば、人々がお仕えするのが当たりまえです。しかしイエスは、私たちのために仕える御生涯をお過ごしになりました。聖書の物語には、イエスが身を粉にして多くの人々を癒してくださり、人々に与え尽くす人生が記されています。イエスは、その御生涯を通して私たちに徹底的に仕え惜しみなく神の愛を与え尽くし、愛されるより愛すること、与えられるより与えること、仕えられるより仕えることを実践されました。
全知全能の神の力を身にまとう神の御子ご自身が、私たちに仕えてくださり、手本を示してくださったのです。その恵みに感謝します。

2.ご自身の命を与えるための御生涯

イエスは死ぬためにこの世に来られた。そのような使命を帯びておられた事を忘れてはいけません。
それは全ての人の罪を取り除き罪からのきよめ、贖い、救いを成就されるためでした。イエスがお生まれになった時、十字架と復活を最初からイエスは見ておられたのでした。それは十字架での罪の贖い、神の救いを実現するためでした。血を流す事なしに人が贖われる事はない、これが神のお約束でした。私たちの身代わりとなって十字架で死ぬためにお生まれになった、これがイエスのご誕生の目的でした。
2000年前、イエスが人としてお生まれになったことを喜ぶだけが、本当のクリスマスの目的ではありません。イエスが、神の愛を徹底的に現し、人に仕え愛するため、神の愛を自ら実践するため、そして、十字架で罪の身代わりとして死ぬためにこの世に生まれたことを心から感謝しましょう。今から分かち合う聖餐式は、そのイエスのいのちの目的であるイエスの愛と十字架の死の意味を本当に知っている者だけが与(あずか)ることができるものです。
主はザアカイの箇所で、「人の子は、失われた人を捜して救うために来た」と語られました。そして、パウロは、「キリスト・イエスは、罪人を救うためにこの世に来られた」と語り、ヨハネは、「その名を信じた人々には、神の子どもとされる特権をお与えになった」と語りました。「この方以外には、だれによっても救いはありません」と聖書記者たちは皆、語ったのです。
世の中がクリスマスの楽しい雰囲気にある中で、私たちクリスチャンは、イエスの来られた目的を絶対に忘れず、罪から私を贖い救ってくださったことを感謝して、クリスマスを喜びましょう。