あなたのような神が、ほかにあるでしょうか!

ベツレヘム・エフラテよ。あなたはユダの氏族の中で最も小さいものだが、あなたのうちから、わたしのために、イスラエルの支配者になる者が出る。その出ることは、昔から、永遠の昔からの定めである。…あなたのような神が、ほかにあるでしょうか。あなたは、咎を赦し、ご自分のものである残りの者のために、そむきの罪を見過ごされ、怒りをいつまでも持ち続けず、いつくしみを喜ばれるからです。
                      ミカ書5章2節、7章~18節

   
東方の博士の話で有名な、救い主聖誕の地ベツレヘムの預言です。ミカの預言から数百年後、東方の博士たちがエルサレムに来て、「ユダヤ人の王としてお生まれになった方はどこにおいでになりますか。私たちは、東のほうでその方の星を見たので、拝みにまいりました」と言います。ヘロデ王は恐れ惑い、祭司長や学者たちに、キリストはどこで生まれるのかと問いただしたとき、彼らはミカ書の預言にあるとおり「ユダヤのベツレヘムです」と答えたのです。
当時、北イスラエル王国の都サマリヤも、南ユダ王国の都エルサレムも「廃墟となる」、「ここは汚れているために滅びる。それはひどい滅びだ」と預言されていたのです。しかし、どこにも救いも希望もないという時代に、やがて救い主が生まれるという希望の預言が与えられたのです。だから、ミカは叫ぶのです、「あなたのような神が、ほかにあるでしょうか」。

1.あなたのような神はほかにない

この言葉には驚きと感動があります。生きた信仰には驚きが伴います。神の恵みは驚くばかりの恵みです。救われた私たちは、闇の中から驚くべき光の中に招かれているのです(Ⅰペテロ2:9)。なまぬるい信仰ではなく、生きた信仰、それが、当時のイスラエルにも私たちにも必要なのです。最近、神様の恵みに驚かされた、ということがありますか? もう神様の恵みに驚かされっぱなしです、というワクワクするような感動があふれる日々を歩むことができるとしたら、なんと幸いなことでしょう。私たちの人生には、主によって驚くばかりの特別な素晴らしいことが起きると信じましょう。そして、私たちは主を賛美して言うのです、「あなたのような神が、ほかにあるでしょうか」と。
また、たとえ特別なことが起きなくても、です。こうして生きることをゆるされていること、三日坊主の私たちが主を信じ続けられていること、それは特別な奇跡です。それは、主が、私たちの信仰がなくならないように、私たちのために祈ってくださっているからです。こんな素晴らしい神様がほかにあるでしょうか。私たちがへりくだって、いっしょに歩むことを求めてくださる神、こんな神様がほかにあるでしょうか。「人の間には、正しい者はひとりもいない」(7:2)。みんな罪人です。しかし、主は「咎を赦し、そむきの罪を見過ごされ、いつくしみを喜ばれる」のです。だから、ミカと共に私たちも叫ぶのです、「あなたのような神が、ほかにあるでしょうか」と。たったひとりの罪人の私たちが救われる時、天で大いに喜んでくださる神、こんな神様はほかにはありません。

2.こんな素晴らしい人生はほかにはない

こんな素晴らしい神様に出会えた私たちは、「こんな素晴らしい人生はほかにはない。私は誰よりも幸せです」と、みんなでそう言い合えるのです。

3.ほかにない神の恵みを伝える

こんな素晴らしい神様、救い主はほかにないと知ったから、キリストの弟子たちは、「この方以外には、だれによっても救いはありません」と伝えたのです(使徒4:12)。ほかにはない素晴らしい神様に出会えた私たちは、この道しかないと確信し、神の恵みの福音を語り伝えていくのです。そして、新しく救われる人々と共に、主を讃美するのです、「あなたのような神様は、ほかにはありません!」と。