教会に働く聖霊の力

私たちも以前は、愚かな者であり、…憎まれ者であり、互いに憎み合う者でした。しかし、私たちの救い主なる神のいつくしみと人への愛とが現われたとき、神は、私たちが行なった義のわざによってではなく、ご自分のあわれみのゆえに、聖霊による、新生と更新との洗いをもって私たちを救ってくださいました。神は、この聖霊を、私たちの救い主なるイエス・キリストによって、私たちに豊かに注いでくださったのです。…私たちがキリストの恵みによって義と認められ、永遠のいのちの望みによって、相続人となるためです。…                テトスへの手紙3章3節~8節

キリスト教会には3つの大きな祝い、すなわち、クリスマス、イースター、そして、今日のペンテコステがあります。教会が誕生したのは、このペンテコステ、聖霊降臨があったからです。その日から二千年間教会は聖霊の命を保ち、証しし続けているのです。その誕生日とも言えるペンテコステを喜びましょう。
イエスがこの地上に救い主として姿を現されたことにより人間の歴史に多大な影響が起こりました。イエスが成就された、すべての人の救いと復活により与えられた永遠の命の約束を刻みつけるために教会が誕生しました。そして、人々は歴史を刻み始めました。B.C.(Before Christ)とキリスト以後のA.D.(ラテン語で主の年)という西暦の紀元が分かれたのです。キリストの歴史的な事実を人類の歴史の流れの中に刻みつけたのは、聖霊の働きです。イエスの義を頂いて、人が義と認められるという奥義が私たちに与えられているのは、聖霊によるのです。
この箇所でパウロは、すべての場面でクリスチャンの中には聖霊が働いていることを語っています。それを3つの点で確認し聖霊の恵みに感謝しましょう。

1.救いのわざは聖霊の働きによる

5節に、私たちが救われたのは、私たちの行いによるのではなく、御霊による清め、聖霊のバプテスマによると書かれています。宗教の学びや修行を積むことではなく、救いは、一方的な神の御意志によって、聖霊によって、キリストの恵みにより成就したのです。あなたの期待するような劇的な体験はないかもしれませんが、御霊によらなければイエスを主と告白できないのですから(Ⅰコリ12:3参照)、あなたが救われたのは、神の霊によって導かれ、聖霊の働きによるのだということを感謝しましょう。

2.信仰者の歩みにも聖霊が注がれている

神の約束された、永遠の命を相続し、神の祝福を頂くというクリスチャンの未来に向けての歩みの中にも聖霊が常に働いているのです。その一番のことは、祈りです。「主イエス・キリストの御名によって祈る」ということは、聖霊の力によって、キリストの力が働くことです。弱くてイエスを裏切った弟子が、聖霊に満たされて最初に行った奇跡は、美しの門の奇跡でした。足の立たない男に向かって、「イエスの名によって歩け」とイエスの名を唱えた瞬間、男は癒されました。使徒たちと同様に、私たちにも聖霊が働くのです。クリスチャンとして歩むために備えられている、聖霊の力が常に働いているのです。

3.聖霊の働きを豊かに頂く

6節にあるように、神はいつも、豊かに聖霊を下さるのです。だから、イエスの復活に出会いながらも及び腰であった弟子たちも、聖霊が注がれて変えられました。人々の前での初めての証しで三千人が救われました。使徒と呼ばれるまでに変えられたのです。聖霊が内に満ち溢れるほどになった時、体験したことのない喜びや力が現れます。祈る時、しるし、不思議、奇跡が起こります。教会は、聖霊が歴史の中に働いた時の姿ですから、教会を愛さなくては聖霊が豊かに働くことはありません。救いを実現し、信仰の歩みの内に働く聖霊に感謝し、教会で主に仕える私が聖霊で満たされるようにと祈りましょう。