いやしの御業を自ら求めよう

求めなさい。…捜しなさい。…たたきなさい。…だれであれ、求める者は受け、捜す者は見つけ出し、たたく者には開かれます。あなたがたも、自分の子がパンを下さいと言うときに、だれが石を与えるでしょう。また、子が魚を下さいと言うのに、だれが蛇を与えるでしょう。してみると、あなたがたは、悪い者ではあっても、自分の子どもには良い物を与えることを知っているのです。とすれば、なおのこと、天におられるあなたがたの父が、どうして、求める者たちに良いものを下さらないことがりましょう。
                   マタイの福音書7章7節~11節

先日、四国中の教会の先生方と共に、災害に備えて協力できるように四国キリスト災害支援会を立ち上げました。3年後には、グラハム伝道協会の四国全体の大集会を開催しようとしていますが、その準備の中で、災害でも協力できるようにしたいと願っています。この暑さの中でいつも元気でありましょう。創造主なるまことの神は、私たちを癒す、いのちの与え主なる神です。
今日開いたのは、イエスが、今いるその場所で働かせる信仰があると教える有名な箇所です。日本人は、信仰の姿勢を学ぶ前に、聖書の学びや悟りを求める方向ばかりを求め、自分で行動することを忘れがちです。イエスが語られる、求めることの大切さの三重の意味を受け止めていきたいと思います。

1.自ら癒しを求める行動を起こそう

病気になると、行動するのも大変になります。しかし、その時に、誰かから助けられることではなく、自ら癒されるための信仰の行動を起こして求めることです。信仰は行動を含みます。誰かからの助けを求めるのではなく、自分が癒しを求めて立ち上がり、行動することができるようになりましょう。
聖書に出てくる人々が、立ち上がり、床を取って歩けとイエスから命じられ、行動しようとする瞬間に癒されたように、私たちも行動する者でありたいのです。癒しが必要なあなたが、消極的にならないよう、積極的な行動で癒しを求める者となりましょう。

2.たたき続けていく信仰者になろう

求めること、探すこと、たたくことにおいても、単なる行動ではなくて、いつも求める者、探す者、たたき続ける者でありなさいと言われています。私たちはそういう信仰者になりたいのです。自分自身が神から期待されているような、前向きで、病の中にあっても、癒されると信じる信仰者となりましょう。今は弱くて落ち込んでいて疲れ果てていても、元気になる自分の姿を描いて、あなた自身が求める者であり、探す者であり、たたき続ける者となりますように。人には自分で祈ればいいと簡単に言えますが、自分のことになると途端に弱気になる人がたくさんいます。自分自身を、神を求める者とならせてくださいと祈りましょう。状況はどうであれ、主が探し続けなさいと言われているのですから、探し続け、閉ざされていると思われる扉をたたき続けて、諦めることのない者にならせてください、私をイエスの御心にかなう信仰者にならせてくださいと祈りましょう。

3.絶対に祝福を与えてくださる良い神

神が、求める私に良いものをくださらないわけがない、絶対に祝福を与えてくださる方であることを感謝したいと思います。天の父なる神は、良い神です。悪い者であっても自分の子には良い物を与えるならば、父なる神はなおさらです。恵みを求める私たちに良い物をくださらないことは、絶対にありません。神が私たちに良いものをくださろうとしているのですから、自分の信仰を働かせようではありませんか。今までどうでしたか? 愚痴や悪口や諦めばかりを口にし、否定的な行動があなたを支配していませんでしたか。神は、必ず祝福を持って私たちに答えてくださいます。その恵みの神を信じて、私を癒してくださいと信仰を働かせて求めてまいりましょう。