神の栄光を見るために祈る

…あなたがたの心の目がはっきり見えるようになって、…神の全能の力の働きによって私たち信じる者に働く神のすぐれた力がどのように偉大なものであるかを…知ることができますように。…教会はキリストのからだであり、いっさいのものをいっさいのものによって満たす方の満ちておられるところです。…また、愛に根ざし、愛に基礎を置いているあなたがたが、…その広さ、長さ、高さ、深さがどれほどであるかを理解する力を持つようになり、人知をはるかに越えたキリストの愛を知ることができますように。…
エペソ人への手紙 1章17~19節、23節、3章16~21節

私たちはこの祈りを忘れないで祈り続けたいと思います。心の目がはっきり見えるようになり、神様から与えられる望み、力、愛が、人知をはるかに超えて、どれほど偉大で栄光に富んだものかを知ることができますように。主の愛と力の大きさ、神の栄光を見ることができますように、と。

1.神を愛しているから

一番大切な教えは、神を愛することです(マタイ22:37)。そして、愛していれば、もっと相手を知りたくなるのです。だから、神を愛する私たちは、もっと神様を知りたい、神の栄光を見たいと祈るのです。

2.神に近づくため

「神に近づきなさい」(ヤコブ4:8)。近づけば、遠くて見えなかったものも段々はっきり見えてきます。神に近づくことは、神が見えるようになることです。だから、祈るのです。神に近づくために、神の栄光を見せてくださいと祈るのです。そして、神に近づけば、神は近づいてくださいます。光に近づくと明るくなるように、神に近づくと、その栄光の光を受けて、私たちも世の光として輝き、栄光から栄光へと主と同じかたちに変えられていくのです(Ⅱコリント3:18)。

3.へりくだるため

主が私たちに求めておられるのは、へりくだることです。そして、私たちは、神の栄光に触れ、神の大きさを本当に知るとき、はじめて自分の小ささを知り、へりくだることができるのです。パウロも、第3の天に引き上げられ、神の栄光に触れたとき、自分の弱さ、小ささを知ったのです。そして、主の大いなる恵みと力におおわれたのです(Ⅱコリント12章)。神の栄光を見るために祈り、神の大きさを知って、自分の小ささがわかり、こんな小さな者に注がれている神の愛と力の大きさに感謝と喜びがあふれるのです。

4.苦しみを乗り越えるため

「今の時のいろいろの苦しみは、将来私たちに啓示されようとしている栄光に比べれば、取るに足りない…」(ローマ8:18)。数えきれないほどの大変な苦しみを受け続けたパウロですが、それを彼は「取るに足りない」と言うのです。神から受ける救いの栄光はもっと大きいからです。神の愛とゆるしの大きさを知るなら、ゆるせない痛みも憎しみも取るに足りないものとなります。神様の栄光、やがて与えられる永遠の喜びの大きさを知るなら、どんな苦しみも取るに足りないものとなって、乗り越えていけるのです。

5.すべての人が神の栄光を見るために

神の栄光が見えないのは、心におおいがかかっているからです(Ⅱコリント4:3-4)。見えるはずのものが見えず、聞こえるはずのものが聞こえない、罪のおおいです。5歳の女の子が両親から虐待を受け、「おねがい ゆるしてください」と必死で書いた願いも届かぬまま、命を落とす…。神の似姿に造られたはずの人が、似ても似つかぬ姿になりはてている罪がこの世界をおおっています。だから、私たちは、教会は、祈り続けるのです。私たち一人一人が、この世界が、すべての人が、心のおおいを取り除かれ、神の栄光を、その愛と力の大きさを見ることができますように、と。すべての暗闇が光に変わるために。