キリストによる救いの事実

神はそのひとり子を世に遣わし、その方によって私たちに、いのちを得させてくださいました。ここに、神の愛が私たちに示されたのです。私たちが神を愛したのではなく、神が私たちを愛し、私たちの罪のために、なだめの供え物としての御子を遣わされました。ここに愛があるのです。
                  ヨハネの手紙第一4章9節~10節

10月の初日に礼拝が与えられることを心から感謝します。主キリストを信じて期待してまいりましょう。
市民チャリティークリスマスの協賛の受付が始まりました。協賛していただくことによって地域の方々にも一緒にクリスマスに関わっていただいて、イエスがこの世に来てくださったことを精一杯お祝いしたいと思います。皆さんのご協力をお願いします。私たちがどんなに賢く長生きで安定した平和な日本で生きていても、誰の心にも救い主イエスが必要です。建設中の大洲キリスト教会が、南予の伝道の拠点となるようにもお祈りください。2000年前の初代教会の人々の心の中にあったのは、救い主であるイエス・キリストを伝えたいというその一心です。私たちもそこに立ち帰る時、強められます。今日の聖餐式で、自分自身の魂の器に確かにイエスがいて下さるか、それとも、自分の理屈や人生哲学や宗教で心を満たし、イエスを押しのけてしまってはいないか確認し、もう一度イエスこそが私の救い主だという原点に立ち返りましょう。単なる儀式としてではなく、イエスが今日も心の中に宿っていることをしっかり確認しながら聖餐式にあずかってほしいと思います。

1.イエスが来られたのは歴史上の事実

神の御子、救い主なるイエスが私たちの救いのためにこの世に下って来られたことは、誰かの想像や理論ではありません。空想か事実かの間には、決して乗り越えられない大きな差があるのです。これを区別しなくてはなりません。ここに集う一人ひとりも神を知らない者でしたが、イエスがこの世に来て下さったことで、救い主に出会うことができました。聖餐式でパンと葡萄酒をいただき、イエスの存在に触れ、十字架の血に満たされて、この世に下って来られた救い主がいることを事実として感謝しましょう。

2.イエスによって神からの命をいただいた

私たちは、心臓が動き呼吸する肉体の命だけでなく、神からの命を与えられました。罪深い私たちは、このままでは決して神との関係を修復することはできません。例えば、難しい場所に脳腫瘍ができて手術すれば命を失う場合があるように、罪が私たちの命にまで入り組んでいて、罪だけを取り除くことができないのです。イエスが身代わりとなって死んで下さったことで、罪は取り除かれ、私たちは解放され、神の子とされました。そして、永遠の命にまで繋がる者とされたことを感謝しましょう。

3.神の愛を実体験することができる

イエスが私たちのために命まで捨てて下さったことを知ることにより、神によって愛されているということを体験することができます。私たちは神に愛され、永遠の命まで与えられているのです。「愛」はすばらしいと皆が口にする割には、「愛」に満たされない人が増え、愛されたいと願う人が世の中に溢れています。聖書には、「ここに愛がある」と書かれています。こことは、あなたの心のど真ん中です。クリスチャンにとっての愛とは、もはや想像の産物ではなく、体験することができるものです。人々がうらやむ愛を持った私たちは、恵まれ祝福された人生を歩むのは、当たり前ではありませんか。この聖餐式で、共におられるイエスを確認し、10月も、クリスチャンとしてイエスの恵みを証ししてまいりましょう。