やみに光をもたらす救い主

…やみの中を歩んでいた民は、大きな光を見た。死の陰の地に住んでいた者たちの上に光が照った。…あなたが彼の重荷のくびきと、肩のむち、彼をしいたげる者の杖を、ミデヤンの日になされたように粉々に砕かれたからだ。…ひとりのみどりごが、私たちのために生まれる。ひとりの男の子が、私たちに与えられる。主権はその肩にあり、その名は「不思議な助言者、力ある神、永遠の父、平和の君」と呼ばれる。…今より、とこしえまで。万軍の主の熱心がこれを成し遂げる。         イザヤ書9章1~7節

いよいよクリスマス!一人でも多くの方が、救い主イエスに出会うことができ、日本各地の集会が祝福されるように共にこの働きを前進させましょう。
このイザヤ書は、イエスが誕生する700年も前に書かれた預言書でありながら、後に現れるであろう、救い主イエス・キリストのことが記されています。預言者イザヤの生きた時代は、数多くの敵が存在し、イスラエル王国は危機状況にありました。また、国を率いるべき王たちが不信仰に陥り、時には偶像礼拝に走る、信仰がボロボロの状態でした。ですから預言者は、悔い改めて神に信頼するならば救われるが、そうしなければ、神の民でもいつか裁かれ滅びる時も来ると、厳しい預言の言葉を語っていたのです。ここから3つのことを確認しておきたいと思います。

1.悪や闇の力は現実に存在する

イザヤが預言を語った時、死や闇の力、罪深い悪の力の働きが現実に存在していたことがわかります。その時代の苦しみとは、敵国の侵略です。それは、せっかく育てて収穫した穀物を奪い取られ、女や子どもたちはさらわれ、男は殺され、全財産を奪い取られることです。そして家は焼き払われ、残酷で厳しい不幸な血と闇の力が溢れた時代です。それは、この二千数百年前の時代だけではなく、現代の私たちの生活の中にもあります。今も悪魔は、幸せを奪おうと様々な闇、死の力を私たちに投げかけて、希望を失い、人間関係がこじれて、生きているよりも死んだ方が楽だと思わされるような闇と苦しみの現実が私たちにもあります。でもだからこそ、神の言葉としての聖書のメッセージを忘れないで下さい。

2.神の救いの到来の約束

闇や死、悪の力、罪の力が働く現実にあっても、闇が闇で終わらず、神からの救いが光となって到来し、必ず救われる時が来ることを神は私たちに対して約束して下さいます。私たちの現実の生活で、闇の中にあっても、病や苦しみだけが人生の全てではありません。歪んでもつれて心を暗くさせる人間関係だけが人生の全てではないのです。恨みや憎しみで人生が終わってはなりません。喜びや愛や楽しみで締めくくるのです。経済の必要や仕事上の行き詰まり、人間関係のトラブルがあっても、必ずそこから助け出され、喜びと平安、救いと光のある生活が与えられるようになるのです。この約束が、神からあなたに対して与えられていることを知って下さい。

3.平安、喜びをもたらす救い主誕生の約束

「ひとりのみどりごが私たちのために生まれる」という有名な御言葉が出てきます。この御言葉が、二千年前、救い主、神の御子イエス・キリストの誕生において本当に実現しました。このイザヤ書9章の言葉は、来たるべき救い主キリストの到来の預言として受け止められます。その預言の成就として、イエスが救いの道を開き、私たち全てを神の子とし、聖霊の恵みを与えるためにこの世に現れて下さったのです。イエス・キリストによって救いは与えられます。単なる空想や期待感や願望ではなく、救い主として、神であられる御方が人の姿をとってこの地上に来て下さったこと。私たちの人生、心にまで生まれて下さったこの恵みを体験しようではありませんか。今年のクリスマス、イエスと出会って歩みましょう。