悲しみは喜びに変わる

…あなたがたの悲しみは喜びに変わります。女が子を産むときには…苦しみます。しかし、子を産んでしまうと、ひとりの人が世に生まれた喜びのために、もはやその激しい苦痛を忘れてしまいます。…わたしはもう一度あなたがたに会います。そうすれば、あなたがたの心は喜びに満たされます。そして、その喜びをあなたがたから奪い去る者はありません。その日には、あなたがたはもはや、わたしに何も尋ねません。…求めなさい。そうすれば受けるのです。それはあなたがたの喜びが満ち満ちたものとなるためです。
ヨハネの福音書 16章19節~24節

求めていた良いものが与えられると喜びます。悲しみはその正反対のもの。しかし、主イエスは、悲しみが、正反対の喜びに変わると言われるのです。

1.悲しみは喜びに変わると信じる

まず、信じることです。理由は、主イエスがそう言われたからです。御言葉は真理です。そして、真理は私たちを自由にします。多くの人々は、真理ではなく、うそや偽りに縛られて、不自由になっています。この悲しみ・苦しみが喜びに変わるはずがないと思い込み、縛られて、不自由になっています。あきらめや絶望の鎖で縛られています。しかし、悲しみは喜びに変わるのです。この真理が私たちを自由にします。インド伝道で、病や悪霊、悩み、問題、罪や死…様々な悲しみと苦しみに縛られていた人生が喜びに変えられています。自由にされています。信じましょう。悲しみは喜びに変わるのです。

2.十字架と復活の主に出会う

主は語ります、「わたしはもう一度あなたがたに会います。そうすれば、あなたがたの心は喜びに満たされます」。愛する主が十字架で殺されたとき、弟子たちは悲しみのどん底に叩き落とされ、主を見捨てて裏切った罪の意識に心は痛み苦しみました。しかし、主はよみがえり、弟子たちが主に出会う時、弟子たちの悲しみは喜びに変わったのです。十字架と復活の主に出会う時、私たちの悲しみも喜びに変わるのです。人間の悲しみと苦しみ、その根底にある罪と死を解決する答えそのものである主に出会う時に、悲しみは喜びに変わるのです。どんな悲しみも苦しみも、十字架の主の苦しみに比べれば、小さいものだと気づきます。そして、十字架の苦しみは、今や喜びに変わっています。全ての人の罪を身代わりに償い、赦し救う最高の喜びに変わっています。ですから、十字架と復活の主に出会う時、私たちは知るのです、悲しみは必ず喜びに変わる、と。

3.主イエスの御名で祈る

主の十字架と復活によって、断絶していた神と人との間に、救いの架け橋がかけられ、私たちは神につながり、祈ることができます。そして、全能の神様が、全ての求めるものを与えてくださるのです。そのとき、悲しみは喜びに変わります。そのとき、ただ求めるものが与えられるだけでなく、与えてくださる主に出会うのです。祈りが答えられる喜びは、答えてくださる主に出会う喜びなのです。悲しみを喜びに変える十字架と復活の主に出会う喜びなのです。

4.この喜びを奪う者はない

移り変わる状況に一喜一憂するのではなく、変わることのない主を喜ぶ! その喜びは変わることがありません。罪や死、喜びを奪い去る全ての者に勝利された主が私たちを喜んでくださる! 主を信じ、神の子として新しく生まれ変わった私たちを主が喜んでくださる! この喜びを奪い去る者はありません。
2千年前、確かに弟子たちの悲しみは喜びに変わったのです。世界を、歴史を変えたのは、その喜びです。そこに、目には見えなくても、悲しみを喜びに変える主がおられたからです。今も、主と出会い、主に祈るとき、悲しみは喜びに変わるのです。その喜びを奪い去る者はありません。