キリストが与える水をいただこう

さて、祭りの終わりの大いなる日に、イエスは立って、大声で言われた。「だれでも渇いているなら、わたしのもとに来て飲みなさい。わたしを信じる者は、聖書が言っているとおりに、その人の心の奥底から、生ける水の川が流れ出るようになる。」これは、イエスを信じる者が後になってから受ける御霊のことを言われたのである。イエスはまだ栄光を受けておられなかったので、御霊はまだ注がれていなかったからである。
ヨハネの福音書7章37節~39節

熊本地震から一月たちました。未だ余震が続く状況ではありますが、これからの復興の日々に神の御手が力強く働くように祈っています。私たちの人生の日々は色々な事が起こりますが、救い主イエスにより神の愛、恵みに触れた私たち、一日一日神の恵みを感謝する者でありたいと思います。
今日は教会の暦ではペンテコステの聖日です。イエスが十字架に架かられた過ぎ越しの祭りから七週間経った五旬節の日に、神がお約束通り天から聖霊を弟子たちに与えて下さり、使徒2章で語られている通り、弟子たちは力強く伝道を始めました!その聖霊降臨をお祝いする今日の礼拝、あなたも聖霊に満たされ神が共におられることを喜びながら力付けられ歩めますように。今日の聖書箇所は、イエス御自身が聖霊のもたらす恵みについて語られた箇所です。

1.御霊の約束はすでに実現している

「御霊はまだ注がれていなかった」(39)とあるように、イエスが「大声で」語られたほど大切な約束でしたが、その約束は、イエスを信じる者が、後になってから受ける御霊のことでした。ではこのお言葉はいつ実現したのでしょうか? ヨハネ20:19-23には、イエスが復活された日、弟子たちに蘇りの体を見せられ(19-20)、さらに全世界へ福音伝道するよう新たな使命を語られました(20)。その時に、彼らに息を吹きかけて「聖霊を受けなさい」と言われました(22)。
旧約において「息」という言葉は、「風」や「霊」をも意味します。すなわちイエスの内側にある「霊」を彼らに対し注ぎ出されたのです。ヨハネ7:39にある「イエスの栄光の時」とは、神の小羊として人々の罪の赦しのために十字架で死なれた時のこと。人の目には悲惨な出来事に見えても、私たちを何としても救おうとされた神の救いのご計画の中では神の最高の栄光が現れた瞬間でした。ヨハネ7章では起きていなかった栄光の時は、20章ではすでに起きており、この後、使徒2章で聖霊が弟子たち全員に注がれたのです。イエスが言われた「生ける水の川が流れ出るようになる」(37-39)のお約束は、すでに実現している恵みなのです。ですから、私たちもこの恵みを頂き、聖霊に満たされたクリスチャン生活を歩みたいと思います。

2.神の賜物を受け取りましょう!

「だれでも渇いているなら、わたしのもとに来て飲みなさい」(37)。これと同じような箇所がヨハネ4:7-15にあります。特に14節の「永遠のいのちへの水がわき出ます」に注目して下さい。聖霊が注がれる約束は実現しているのです。あなたの信仰を自分の枠組みに止めるのではなく、神が用意してくださる偉大な祝福があることに目を留めましょう。

3.尽きることのない神の恵み

イエスを信じているのですから、単に自分の努力や頑張りというレベルでなく、「イエスが与えて下さる水」を求めましょう。聖霊を頂きましょう。あなたが聖霊によって満たされて、いよいよ霊的体験やイエスへのさらに深い理解、聖霊の賜物を頂きましょう。
神の恵みをあなた自身で制限しないようにしましょう。聖霊に満たされ、あなたの信仰生活がさらに深められますように。