救い主でありいやし主であるキリスト

…イエスは彼らに言われた。「さあ、近くの別の村里へ行こう。そこにも福音を知らせよう。わたしは、そのために出て来たのだから。」こうしてイエスは、ガリラヤ全地にわたり、その会堂に行って、福音を告げ知らせ、悪霊を追い出された。…
イエスはガリラヤ全土を巡って、会堂で教え、御国の福音を宣べ伝え、民の中のあらゆる病気、あらゆるわずらいを直された。イエスのうわさはシリヤ全体に広まった。…
 マルコの福音書1章35節~39節 マタイの福音書4章23節~25節

今日は母の日です。母の日は、およそ100年前、アメリカの教会で始まりました。母親として、家族、子どもたち、教会の兄弟姉妹たちのために、祈り、奉仕し、労苦を厭わず隠れたところでも黙々と仕え続け、愛を注いで下さっていることを感謝します。その愛と労苦が報われますように。健康で主によって恵まれ、幸福であられますようにお祈りします。
このゴールデンウィークもバザー、九州聖会と、神によって祝福されたことを感謝します。今日の癒しの礼拝の中で、もう一度あなたにとってイエスはどういうお方か、聖書の御言葉そのものに立って、シンプルにイエスの姿を問い直してみましょう。マルコ1章、マタイ4章には、イエスが伝道を始められ、救い主としての業を始められた初期の記録が描かれています。その前後の文脈の中で、繰り返し描かれている、生身のイエスのお姿をはっきりと受け止めたいと思います。

1.福音を宣べ伝えられた

福音とは何でしょう。神が私たちを愛し、救って下さるという知らせ、ニュースです。神は私たちに命を与え、本当の命に生きるようにされました。しかし、神のみ心に適う人生を歩むことができない私たちに対して、神の側から救いの手としての、御子キリストを差し出し、キリストが私たちの罪を背負って十字架で死んで下さったのです。私たちは十字架によって救われたのです。悔い改め、神の愛を信じ、受け入れるだけで、罪清められるのです。イエスがこのよき知らせを事実として下さったのです。イエスは、あらゆる町々村々、ガリラヤ全土、異邦人のところまで出かけ、会堂で教え、御国の福音を宣べ伝えました。イエスは、救い主としてご自身の姿を現されたその瞬間から、福音を宣べ伝え、人々を神の救いへと導かれたお方です。

2.すべての人を病から癒された

マルコ1章には、イエスの典型的な日常が描かれています。神を礼拝する会堂で悪霊を追い出し、シモンの姑の熱病を癒し、「わたしの心だ、きよくなれ」と、らい病人を癒しました。イエスの日常は、来る日も来る日も、人々と会えば神の愛を語り、魂の救いを語られた救い主であると同時に、病んでいる人と出会うと、ご自分の中にある救い主としての神の力で、人々をことごとく癒し、彼らを支配している悪霊の力から解放していかれたのです。これがイエスのリアルなお姿であり、シンプルな事実ですが、なぜか21世紀に生きる人々は、この部分に目を閉じてしまいがちです。聖書が伝えているイエスは、この世に神の御子として救いをもたらし、同時に必ず人々を癒された癒し主です。イエスは語ります、福音を伝え、人々を癒すため、わたしは現れた!と。イエスはご自分の命まで捧げて下さり、罪からの救いを宣言し、永遠の命まで約束して下さいました。このイエスが救い主として、私たちと接する時、私たちが抱えている病に対しても、力強い癒しの業を現されることを忘れてはいけません。イエスに心の目、信仰の目をシンプルに向けましょう。イエスは人を憎んだり、悪魔の手先となるような思いで生きてはいけないと語ります。主の前に悔い改め、主に仕え、主に喜ばれる人生を歩むために、私を癒してくださいと素直に祈ろうではありませんか。