神の恵みを受けて成長しよう!

…年老いて、今はまたキリスト・イエスの囚人となっている私パウロが、獄中で生んだわが子オネシモのことを、あなたにお願いしたいのです。彼は、前にはあなたにとって役に立たない者でしたが、今は、あなたにとっても私にとっても、役に立つ者となっています。そのオネシモを、あなたのもとに送り返します。彼は私の心そのものです。私は、彼を私のところにとどめておき、福音のために獄中にいる間、あなたに代わって私のために仕えてもらいたいとも考えましたが、あなたの同意なしには何一つすまいと思いました。…                      ピレモンへの手紙1節~25節

最近のニュースで、日本人は食品に対する過剰な安全意識があるにもかかわらず、利益追求のために不正に横流しをし、その安全が犠牲にされていたことが発覚しました。そして先週の礼拝で話したバスの事故も、同じように利潤追求によって安全はおろか、人の命が失われました。恐いのは、利益の追求のしわ寄せが、最終的にはたったひとりの高齢の運転手の背中に負わされていたことです。しかし私たちは、自分の人生を自分が責任者として歩んでいるという事実に目覚めなければいけません。聖書の語る神の恵みと平安を当事者として受けとめましょう。
今日開いた聖書の箇所は、パウロがピレモンという信仰の友にオネシモという人物についてのお願い事をするために書いた手紙です。恵みと平安が与えられ豊かにされるクリスチャン生活とはどういうものかここから4つのことを学びましょう。

1.神の恵みと平安で変えられる!

オネシモは、ピレモンの奴隷でしたが、何らかの損害を与えてピレモンのもとから逃げ出してしまったのです。当時は赦されない犯罪でした。しかしパウロは、「オネシモは、以前あなたのもとで奴隷として嫌々仕えて役に立たなかったかもしれないけれど、今はクリスチャンとなって心も生き様も変わり、私の分身と言えるほど成長を遂げました (11~12節参照)」と書き送りました。神の恵みと平安を受けると、弱くていい加減だった私たちも成長させられ、良い方向へと変化できることを感謝したいのです。

2.誰かのために「とりなし」しよう!

13~16節でパウロはオネシモのことをピレモンに指導者としての立場で命令するのではなく、愛をもってとりなしています。神様から恵みと平安をいただいて成長していくと、私たちは「我が事だけ」に真剣になるのではなく、誰かのために真剣にとりなして愛を注げる人にまでなれることを感謝しましょう。

3.「赦す」という選択肢が与えられる!

パウロは、ピレモンの正義感からくる当然の怒りを理解しつつも、オネシモに対する赦しを求めています。怒って復讐を果たすことも、裁いて損害賠償を請求することも、この世の法律で認められた当然の権利で、正しいのです。しかし、神の御心の中には、「赦す」というさらに高い品性があり、それがキリストによって私たちにも与えられる可能性を受け止めましょう。生きていく中で、親しい人とトラブルになることもあるでしょう。もちろん損害賠償を請求する権利はあるのですが、「赦す」という選択肢もあります。心の中に赦せない人がいるでしょう。神の前までその心を持って行きますか?「それ以上怒るとあなたの心が傷つくぞ」と神に言われていませんか?

4.自分の責任でできることをしよう!

パウロはオネシモの負債を自分が支払うと申し出ました。当時の手紙は書記によって書かれることが多いのですが、この手紙はパウロが自筆で書いています。つまり、パウロの魂からの願い事なのです。私たちは、様々な問題を人のせいにせず、自分が解決するためにクリスチャンとして自分の責任で行動しましょう。自ら行動し自ら信仰を働かせることのできる人になりましょう。