福音に生きる

私は福音を恥とは思いません。福音は、ユダヤ人をはじめギリシヤ人にも、信じるすべての人にとって、救いを得させる神の力です。なぜなら、福音のうちには神の義が啓示されていて、その義は、信仰に始まり信仰に進ませるからです。「義人は信仰によって生きる。」と書いてあるとおりです。    ローマ人への手紙1章16節~17節

私たちは優しい人、良い人でありたいと思いますが、それだけでは神の恵みを受け損ねてしまいます。ローマ人への手紙は伝道者パウロが書いた書簡で、キリスト教の教えの根幹をなす書物です。今日の箇所はこの書物のテーマです。パウロはただの優しい人、良い人だけではなく、福音にこだわり福音に生き抜いた人です。これこそキリスト者に相応しい生き方であることを覚えたいと思います。

1.福音とは一体何か?

福音は人種に関係なく、福音を信じるすべての人に救いを得させる神の力です。救いとは私たちが縛られている罪と死の力から、義と命に移されることです。自分の罪を死をもって償わなければならない私たちが、罪に定められることなく、神に義と認められ永遠の生命を頂くことができる、これが福音です。Ⅰコリント15章にはもっと具体的に、福音の最も大切なことは、キリストが私たちの罪のために死なれ3日目によみがえられ、死に勝利したこととあります。十字架で死なれた主の復活はその後、12弟子と500人の兄弟たちに現れ、証明された紛れもない事実です。過去にキリストを信じる人々を迫害していたパウロは、自分を月足らずで生まれたと表現しています。本来ならば、死をもって償わなければならないパウロに、主は現れてくださった。これが福音です。私たちの罪のため十字架にかかり死んでくださり、3日目によみがえられた復活は事実であり、復活の主は私たちに今日も現れて下さっています。これを信じ受け入れるだけで救われる、これが福音です。

2.福音に生かされる私たちでありたい

パウロは自分のことを、神の福音のために選び分けられたキリストのしもべと紹介しています。福音に生かされたがゆえに、福音のために生きたのです。Ⅰコリント9章で「私はすべてのことを福音のためにしています」とあり「福音のために」は福音を通って、福音のゆえにという意味があります。パウロは福音のためという目的より、むしろ福音のゆえに生きたのです。私たちのために福音があり、福音に生かされることが先です。そうすれば自ずと福音のために生きる者とされます。福音のために生きなくてはと思うと、信仰生活が苦しくなります。福音に生かされていれば、そこに労苦はあっても、喜び、感謝、恵みが溢れ出ます。そんな私たちにされたいと思います。

3.福音を誇りとして生きる者でありたい

パウロは私は福音を恥とはしない、むしろ誇りとして生きていると語っています。信仰生活が恵まれていない人は、福音を誇りとしないで自分を誇りとしているからです。パウロはローマ書7章で「私はしたくない悪を行っている」と心の葛藤を告白しています。自分は惨めで情けない人間だと認めた時に、福音の主役であるキリストへの感謝が溢れます。イエスを誇りとし、福音を誇りとして生きる者でありましょう。
私たちの罪のため十字架にかかり復活して下さった、この方を信じ受け入れるならば救われる。この福音を信じ、この福音に生かされる、福音を誇りとして生きる。そうすれば心のあり方が、人生が、周囲が、教会が、日本中の教会が変えられます。福音に生きるキリスト者でありましょう。