神様に調子を合わせ自分を変える

この世と調子を合わせてはいけません。いや、むしろ、神のみこころは何か、すなわち、何が良いことで、神に受け入れられ、完全であるのかをわきまえ知るために、心の一新によって自分を変えなさい。             ローマ人への手紙12章2節

先週4月29日のバザーのために、ご奉仕とささげ物とお祈りで支えて下さった方々の上に神の祝福が豊かにありますようにお祈りします。多くの献金をラジオ放送と海外宣教のためにささげることができるようになりました。このささげものを通して日本でも海外でも魂が救いに導かれるよう祈りましょう。
私たちは、何に調子を合わせて生きているかに注意しなければなりません。世の中に調子を合わせて自分を変える人や、自分の考えでしか生きられない人もいます。しかし、これは神の恵みを失うことになります。今日の箇所を元に、神の恵みをいただいた3人の例からその秘訣を見てみましょう。

1.ペテロ

ペテロは、経験も知識も豊かなベテランの漁師でした。それで、イエスの「舟を沖に漕ぎ出して網をおろしなさい。」というお言葉に、「夜通し働きましたが魚は一匹もとれませんでした。」と告白します。しかし、「でも、あなたのお言葉通り網をおろしてみましょう。」と言い、網をおろすと、驚くほどに魚がとれました。その時イエスはペテロに、人間をとるようになると言われました。もしペテロが、自分の知識や考えを優先し、網をおろさなければ、イエスに舟を貸しただけの漁師として人生を終わっていたでしょう。しかし、お言葉通りに行動したペテロは、魚をとる漁師から人をとる者へと変えられ、今も世界中でイエスの使徒として名前を知られる者となったのです。

2.パウロ

律法学者としてもパリサイ人としても知恵も知識もあったパウロは、自分の知恵で福音を伝えようとし、ギリシャのアテネで哲学者たちと論じ合いましたが、結局そこでは教会はできませんでした。その経験を基にコリントの教会でパウロは語りました。「私は…イエス・キリスト、すなわち十字架につけられた方のほかは、何も知らないことに決心したからです。…私のことばと私の宣教とは、説得力のある知恵の言葉によって行われたものではなく、御霊と御力の現れでした。」(Ⅰコリント2:2-4)。彼も気づいたのです。自分ではなく、神に従うべきだと。そして、自分が述べ伝えておきながら自分が失格者にならないために自分を打ちたたいても神に従わせると言いました。

3.イエス

「父よ。みこころならば、この杯をわたしから取りのけてください。しかし、わたしの願いではなく、みこころの通りにしてください。」(ルカ22:42)。イエスにとって、十字架を受け入れることは、非常な苦しみ、痛みを伴うものでした。何とかほかの道はありませんかと告白しましたが、自分の思いではなく、イエスも神のみこころに合わせたのでした。
私たちも、語る言葉や生活すべてにおいて、神のみこころに調子を合わせるために、自分自身を変えていかなければなりません。そのためには、とにかく、神のお言葉を聴き続けることです。私たちは、自分の思いや願いを持っていますが、神に調子を合わせて自分を変えて、神に導かれて生きる道を選ぶことが、最高に祝福される人生であることを知らなければなりません。神に従い、変えられる者でありたいと思います。

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