ゆるがない心

神よ。私の心はゆるぎません。私の心はゆるぎません。私は歌い、ほめ歌を歌いましょう。私のたましいよ。目をさませ。十弦の琴よ。立琴よ、目をさませ。私は暁を呼びさましたい。主よ。私は国々の民の中にあって、あなたに感謝し、国民の中にあって、あなたにほめ歌を歌いましょう。あなたの恵みは大きく、天にまで及び、あなたのまことは雲にまで及ぶからです。神よ。あなたが、天であがめられ、あなたの栄光が、全世界であがめられますように。
                           詩篇57篇7節~11節

 

今回の詩篇の表題には“ダビデのミクタム。ダビデがサウルからのがれて洞窟にいたとき”とあります。ダビデはイスラエルの二代目の王様ですが、王になる前には一代目のサウル王から命を狙われていたのです。それはサウル王がダビデに王座を奪われるのではないかと恐れ、嫉妬していたためでした。しかし、ダビデは王座を狙っていたわけではなく、ただイスラエルのために忠実に尽くしてきたのです。神はサウルよりそんなダビデを王として選ばれたのです。それを知ったサウルは嫉妬みと猜疑心でダビデの命を狙いますが、ダビデは逃げながらも神に賛美をささげるのです。

1.目の前に主を置く

ダビデはどうしてそんな状況で「私の心はゆるぎません」と賛美できたのでしょうか。ダビデはまたこのように告白しています。詩篇16:8「私はいつも私の前に主を置いた。主が私の右におられるので、私はゆるぐことがない」。普通であれば、相手の力になって励んできたのにも関わらず命を狙われることになると“どうしてこんなことに”と嘆き絶望すると思います。問題を目の前に置くと、問題しか見えなくなります。しかし、ダビデは問題を見る前に、主を目の前に置いてから問題を見たのです。ダビデは少年の頃、ゴリヤテという大巨人と戦い、石投げで勝利できたことがあります。ゴリヤテだけを見ると大きすぎて手も足も出ませんが、主を目の前に置くとその巨人がだんだん小さく見えていき勝利できたのです。

2.岩の土台

どうして人の心はゆらいでしまうのでしょうか。それは恐れ・不安があるからです。聖書には365回「恐れるな」と出てきます。つまり365日毎日のように主は私たちに恐れるなと語ってくださっています。私の助けはどこから来るのですか。天地を造られた神からではありませんか。マタイ7章24~27節では砂の上に家を建てずに、岩の上の家を建てなさいとイエスは語られます。人生の土台をイエスとする時、問題が起きようとも、あなたは倒れることはないのです。土台がイエスであればゆるぐことはないのです。

3.行う者になる

岩のように堅い土台を作るには、御言葉を聞くだけではなく行う者になりなさいと主は言われます。弟子たちは、いつもイエスと共に過ごし、いつもイエスのことばを聞いていました。しかしイエスが十字架に架かる時、弟子たちはどうだったでしょう。主のことばを聞いていたはずなのに、毎日耳にしていたはずなのに、心はゆるぎ逃げ出してしまったのです。けれども聖霊が注がれたとき、弟子たちはこれまでとは違い、主のために命がけで伝道をし、行動する者と変えられたのです。それを通して弟子たちは堅い堅い岩の上に建つ家のような信仰が築き上げられていきました。
そびえる大きな山のような問題に直面していようとも、その前に主を置き、御言葉を持って堅く立ち、その御言葉を信じて前進していこうではありませんか。自分自身で人生のハンドルを握るのでなく、主に握っていただきましょう。そのとき、私たちの心はゆるぐことはありません。