復活により甦らされる私たちの生きざま

…夜が明けそめたとき、イエスは岸べに立たれた。けれども弟子たちには、それがイエスであることがわからなかった。…イエスは彼らに言われた。「舟の右側に網をおろしなさい。そうすれば、とれます。」そこで、彼らは網をおろした。すると、おびただしい魚のために、網を引き上げることができなかった。そこで、イエスの愛されたあの弟子がペテロに言った。「主です。」…イエスは来て、パンを取り、彼らにお与えになった。また、魚も同じようにされた。…                                                               ヨハネの福音書21章1節~14節   

教会の中には、クリスマスとイースターという伝統的に2つの大きなお祝いがあります。しかし、イエスのお誕生日だから、と誰にでもわかるクリスマスに比べ、イースターはクリスチャンでしか理解できないので、知名度が低いようです。
人間の歴史上、本当に死んで3日も経ってからよみがえったのはイエス・キリストだけです。物質的な証拠がないので、信じ難いことかもしれません。しかし、違う時、違う場所で、多くの人々がそれを目撃して、全く同じように証言しているのです。口裏を合わせても嘘はすぐにばれます。さらに、十字架以前は、情けなくイエスを裏切るほど弱かった弟子が、イエスの復活後は、それを命がけで証言する偉大な使徒となったのです。イエスのよみがえりは、彼らの人生を一変させるほどの明確な事実だったのです。
では、イエスのよみがえりによって、どんな素晴らしいことがあなたの上に起こるのでしょうか。

1.本来の姿に気づかされる

弟子たちは、イエスを失い、茫然自失で故郷に戻って漁師をしていました。魚は一匹も捕れず諦めかけた頃、岸辺から叫ぶ一人の人の声を聞いたのです。「舟の右側に網をおろしなさい。」網をおろすと、網が張り裂けそうになるほどの魚の群が入り、船が沈みそうになりました。その時はっとしたのです。初めてイエスに出会った時、同じ体験をしていたからです。それは、自分の生き様、自分のあり方を思い起こす出来事でした。
私たちには、命の置き場所があり、生き抜くべき生き様があります。弟子たちは、皆十字架で失敗しました。イエスの十字架の姿がまだリアルな3日目、どう生きればいいかわからずショック状態の彼らをこの体験が目覚めさせたのです。イエスといるときに魂を目覚めさせていただけます。「あなたがたを、人間をとる漁師にしてあげよう。」と言われた人生が、ありありとよみがえったのです。復活のイエスに出会うとき、神の子供としての人生が動き始めていることをもう一度知るのです。私たちには、イエスと共に生きる人生が始まっていることを思い起こしましょう。

2.再チャレンジを許される

別の箇所で、復活のイエスはペテロに、「あなたはわたしを愛するか」と問い、胸に痛みを感じながら精一杯答えるペテロに「わたしの愛する羊を養いなさい」と言われました。あなたの上に教会を建てるという約束は終わっていないと言われたのです。裏切り者のレッテルを貼られたペテロに、主はもう一度チャンスを与えられ、この後、力強い使徒としての働きを全うしてゆくのです。山中教授にノーベル賞をもたらしたiPS細胞でも生み出すことのできるのは体の一部分だけ。でも、彼らに与えられたチャンスは、彼らの存在、生き様全部をもう一度やり直してみないかという神からの大きなチャレンジでした。
私たちがクリスチャンになったのは、真面目だからではなく、神の不思議な導きがあったことを思い出しましょう。主は、私たちの生き方を中途半端なままで終わらせず、弱さを取り除き、再チャレンジできるよう、聖霊まで与えて力づけて下さいます。私たちにも救いの喜びと、なすべき使命を与え、主のよみがえりの命で励まして下さることを思い起こしましょう。