内にある聖霊によって燃やされよう

私はあなたの純粋な信仰を思い起こしています。そのような信仰は、最初あなたの祖母ロイスと、あなたの母ユニケのうちに宿ったものですが、それがあなたのうちにも宿っていることを、私は確信しています。それですから、私はあなたに注意したいのです。私の按手をもってあなたのうちに与えられた神の賜物を、再び燃え立たせてください。神が私たちに与えてくださったものは、おくびょうの霊ではなく、力と愛と慎みとの霊です。                                                         テモテへの手紙第二1章5節~7節   

 

台風も過ぎ去り、金木犀の香りがし始めました。収穫の秋ですが、自然界だけではなく、霊的にも実りの秋になるように主に求めたいと思います。
テトス3:14でパウロは、弟子であるテトスに「私たち一同も、なくてならないもののために、正しい仕事に励むように教えられなければなりません。それは、実を結ばない者にならないためです。」と語っています。これは、ヨハネ15:16で主が私たちにも語られた「あなたがたがわたしを選んだのではありません。わたしがあなたがたを選び、あなたがたを任命したのです。それは、あなたがたが行って実を結び、そのあなたがたの実が残るためであり」と同じことを意味します。イエスと交われば交わるほど主は恵みを与えて下さるのです。今回の箇所は、パウロが弟子テモテに対して、多くの実りを結ぶために何が必要か、また、どこに目を留めるのかを語っています。

1.神がすでにあなたに与えられたもの

私たちが、何か成し遂げようとする時、どうしても不足感に囚われてしまう傾向があります。時間やお金がない、他の人のように能力がないと思い込みストップをかけてしまうのです。神はあなたに無い物であれをしなさい、これをしなさいと言われてはいません。5節「私はあなたの純粋な信仰を思い起こしています。」とパウロはテモテに対して言っています。何か特別なことをしなければならないとは考えずに、あなたの内にある、すでに与えられた信仰に目を向け直しなさいと語っています。神の深いご計画によって私たちは選び出されたのです。1対1で主は向き合って下さり、私たちの中の価値を見出し、輝きがあることを知って下さっています。私たちには答えられた祈り、恵みの体験、信仰の事実があるではありませんか。無い物を見て落ち込むのではなく、すでに与えられている霊的な財産に目を留めて前進しましょう。

2.神の賜物を燃え立たせよ

6節「神の賜物を、再び燃え立たせて下さい」とあるように、あなたにある霊的な財産を見つめ直すことができた時、それを再び燃え立たそうではありませんか。「再び」ということは、以前あなたも純粋な信仰で燃えていた事実があったということです。主を知り、喜びにあふれ、またイエスを伝えるために用いて下さいと祈ったことはありませんか。「熱いか冷たいかどちらかであれ」という御言葉の「熱い」方を選び取り、燃やされたいと思います。

3.聖霊に満たされる原点に

7節「神が私たちに与えてくださったものは、おくびょうの霊ではなく、力と愛と慎みとの霊です。」。私たちが燃やされると同時に悪魔が邪魔をするでしょう。しかし、神は決してあなたに臆病の霊を与えることはありません。力・愛・慎みの聖霊を注いで下さるのです。臆病風に吹かれて「どうせ私なんか…」と弱い霊に支配されていませんか。あなたにはクリスチャンとしての輝きがあります。無い物ねだりをするのではなく、自分自身の信仰に目を留め、種火状態になっていた信仰をもう一度再び燃え立たせ、主の御霊によってさらに強められましょう。