私達の闇を照らされる

この方にいのちがあった。このいのちは人の光であった。光はやみの中に輝いている。やみはこれに打ち勝たなかった。
すべての人を照らすそのまことの光が世に来ようとしていた。…この方を受け入れた人々、すなわち、その名を信じた人々には、神の子どもとされる特権をお与えになった。この人々は、血によってではなく、肉の欲求や人の意欲によってでもなく、ただ、神によって生まれたのである。     ヨハネの福音書1章4節~5節,9節~13節 

 

教会では、25日の後もクリスマスは続きます。年末年始で慌ただしいですが、イライラが募らないようにしましょう。教会は玄関周りの改装も済んで、十字架の照明も鮮明になりました。メリエストクリスマスも素晴らしい集会が続きキリストの恵みを伝えることができて感謝です。イエス・キリストがこの世に現れて下さって2000年、その救いと愛を私たちのものとしているのは本当に幸いです。

1.闇の中に現れた光

今日の御言葉のように、キリストがこの世に現れてくださったことは闇の中に光が現れたのだということです。私たちの人生をどんな闇が覆っても、闇はこの光に打ち勝つことはできないのです。イエス・キリストの光は私たちの内に輝き続けるのです。今日、飼葉おけのように汚れた私たちの心に、宿ってくださる主に感謝し受け入れましょう。
重要なことは、この御言葉が単なる理論や教えではなく、事実であることにこだわることです。神の御言葉と私たちの言葉との違いは、人間の言葉は不確実ですが、神の言葉は必ず一つ一つ成就するということです。神の言葉が語る通りの事実が私たちの人生の中に形作られることを体験しましょう。
神の知恵を人の賢さで覆せると思っていたら間違いです。あらゆることで闇が覆う時代だからこそ、神の光であるイエスを素直に光として受け入れましょう。

2.光に照らされよう

ここで、自分で光を放つことができると誤解しないようにしましょう。私たちが光ではなく、命を与えてくださった神が光なのです。神は光であり、光そのものを発しているのですから、暗いところはひとつもありません。誰の心の中にも、人に言うことのできない嘘や、隠し続けている闇があって、私たちは光ではありません。罪の中で終局を迎える私たちだからこそ、神によって光を与えられようではありませんか。救い主キリストは、私にとっても命であり、人生の光であると認めましょう。イエスによって、心の中にどんなに深い闇があっても光に照らされるのです。神の命が本当に私たちの住む世界に飛び込んで来て下さって、今私たちとのはっきりした接点を作り出して下さったことを感謝しましょう。

3.神の子どもとされて光を放つ

あなたがイエスを信じるなら、もはや闇の中にとどまる必要はありません。イエスの光と共に歩めることを感謝しましょう。闇から輝き出る光を自分のものとして光の子どもとされた私たちは、内に宿った神の命により、光を放つことができるのです。それはイエスの光です。様々な形で人生の闇が襲いかかり、病気や仕事、人間関係、お金のことなどで闇に突き落とされるように感じることがあります。そして、人間は弱いですから、その時倒れて死んだも同然になったり諦めたりします。しかし、私たちをこの世に生まれさせて下さった神は、私たちの存在を最後まで責任を取って導いて下さいます。弱点のある私たちですが、イエスによって霊的大転換を迎えることができます。神が人となられるという不可能を可能としてこの世に来て下さったことを感謝し、それを受け入れ、今、心からへりくだって祈りましょう。