聖霊の力

イエスは苦しみを受けた後、四十日の間、彼らに現われて、…ご自分が生きていることを使徒たちに示され…こう命じられた。「エルサレムを離れないで、わたしから聞いた父の約束を待ちなさい。…もう間もなく、あなたがたは聖霊のバプテスマを受けるからです。…聖霊があなたがたの上に臨まれるとき、あなたがたは力を受けます。そして、エルサレム、ユダヤとサマリヤの全土、および地の果てにまで、わたしの証人となります。」こう言ってから、イエスは彼らが見ている間に上げられ、雲に包まれて、見えなくなられた。…                                                      使徒の働き1章3節~11節   

 

聖霊の力、主の力を求めましょう。
「力」とは、ギリシア語で「デュナミス」といいます。「ダイナマイト」の語源でもあり、その発明者ノーベルによるノーベル賞の各賞の表彰が今年も行なわれています。爆発的な力、デュナミス。先日は、東北新幹線で爆発騒ぎがありましたが、私たちは、ほんものの力、聖霊の力を受け取りましょう。
本日の聖書箇所、使徒の働き1章、そこには、まさに世界を変える歴史的な出来事が記されています。主イエスが全ての人の罪を償うために十字架で身代わりに死なれ、3日目によみがえり、40日の間、弟子たちに現れて、聖霊の力の約束を与えられて、天の父なる神のもとに帰られました。ここから弟子たちは変えられ、神の言葉、キリストの福音を命がけで伝え、多くの人々が救われ、世界が、歴史が変わるのです。
世界を変えるのは、「聖霊の力」です。ですから、私たちも聖霊の力を求めましょう。求め続けましょう。そのために、大切なことは…。

1.力がないから、力を求める!

自分に力があると思っている間は、本気で「力」を求めていません。自分の力でなんとかなると思っている間は、いくら口先で「聖霊の力をください」と祈っていても、私たちの心は、霊は、求めていないのと同じです。
私たちには、力がありません。ないから、求めるのです。自分では打ち勝てないものがあります。死の力、罪の力、この世の力、夢と可能性をあきらめさせる非情な「運命・宿命」と呼ばれる力、治しようのない病、出口のない絶望、大きな悪の力、…。私たちには、打ち勝つ力がありません。ですから、求めるのです、力を、聖霊の力を!
力がない「弱さ」の内に神の力は現われるのです。力がない、弱いときこそ、私たちは強いのです、力が与えられるのです(Ⅱコリント12:9-10参照)。
力がないから、力を求めましょう。

2.できないことに立ち向かう!

自分の力を超えているもの、自分にはできないことに立ち向かいましょう。なまぬるい現状にとどまっていないで、自分の殻を破り、古い自分を脱ぎ捨てて、今までできなかったことに、主の御名によって、聖霊の力によって、立ち向かいましょう。
脱皮しないかぎり、成長はありません。「できない、だめだ」と思う、そのときこそ、できない自分が変わるチャンスです。聖霊の力を受ける恵みのときなのです。できない現実に失望してあきらめないでください。私たちは見えるものにではなく、信仰によって歩む者です。できない現実を認めないでください。永遠にできないまま終わると決めつけないでください。できるまで、信じて、やり続けるのです。
できないことに立ち向かうとき、ほんとうに自分には力がないと気づき、本気で力を求めて与えられます。自分を超えた聖霊の力とキリストの奇跡を見るのです。「これは、自分の力ではない、聖霊の力だ、キリストの奇跡だ」と、信仰の素晴らしさ、聖書の約束が真実であることが証しされ、私たちはキリストの証人となるのです。私たちが変えられ、この国が、世界が変えられるために、聖霊の力を求めましょう。