神の中に生き動き存在する私たち

アテネ人も、そこに住む外国人もみな、何か耳新しいことを話したり、聞いたりすることだけで、日を過ごしていた。そこでパウロは、アレオパゴスの真中に立って言った。「…私たちは、神の中に生き、動き、また存在しているのです。…今は、どこででもすべての人に悔い改めを命じておられます。なぜなら、神は、お立てになったひとりの人により義をもってこの世界をさばくため、日を決めておられるからです。そして、その方を死者の中からよみがえらせることによって、このことの確証をすべての人にお与えにお与えになったのです。」
                    使徒の働き17章21節~31節

 

今日は記念会ですが、天に召された方々の写真を見ながら、私たちもその信仰を引き継ぎ永遠の命を頂いて、いつも神に期待する人生を歩みましょう。
今日の聖書箇所は、パウロがギリシアのアテネで伝道しようとした時の話。アテネと言えば哲学で有名な街です。この時代は、享楽的なエピクロス派や禁欲的なストア派の人々がいました。ここで一生懸命にイエスのことを語るパウロに哲学者たちが議論をもちかけます。

1.好奇心やあやふやな宗教心ではだめ

ギリシア人は好奇心旺盛で、アレオパゴスと呼ばれる広場に集まって議論をして何か面白い知恵や哲学はないかと探し求める一方で、ギリシア神話を信じ、神々を喜ばせるための競技会、古代オリンピックを開催していました。それを元に現代オリンピックが生まれました。情報があふれ、何か面白いことはないかと追い求め、一方でいろんなイベントを企画してあちこちでお祭りがあり、様々な風習がある現代日本に似ています。しかし、魂のことはみんなよくわからないままです。そんな彼らに、パウロは、あやふやな好奇心だけではなく、命の与え主である神をはっきりと意識すべきではないかと語ったのです。
私たちに命を与えて下さった本当の神がおられることを知りましょう。私たちはすでに召された魂と天で再び会うのです。あやふやな知識や信仰心だけでは十分ではありません。真の神を意識し、永遠の命への希望を持つことです。

2.命の根源である創造主が共にいる

神の摂理の中で歴史が動くようにされたので、神を探り求めれば、神を見いだすこともあるだろう、私たちは、神の中に生き動き存在しているのだとパウロは語っています。この宇宙に存在するすべては、神によって存在させられているのであり、神の導きと素晴らしい愛が注がれているのです。あなたがイエスを信じることができたのは、先に召された信仰の先輩たちの単なる良心に基づく熱心な伝道だけによるのではなく、神の愛と導きがあったからです。神の御手がいつもそこにあり、私たちが知ろうと知るまいと、私たちは神の中に生き動き存在していることを素直に認めましょう。そして、本物の神を信じる信仰のある生き方を願って祈りましょう。

3.イエスによって神と結びつく

神は、人の手で作った小さな偶像の中に存在するようなものではありません。人間的な適当な宗教心を満足させて終わるような神ではないのです。神はイエス・キリストによって私たちが救われることを定め、愚かな私たちを救うためにイエスを与えて下さいました。主イエスをキリストと信じる時、天国へと導き上げられ、永遠の命を頂くことができるのです。
天地宇宙を創られた真の神がおられ、私たちはその中に生きていることを知りましょう。そして、私たちが祈る時、その祈りがイエスによって神に届くことを喜びましょう。知識が多ければ人生が完成されるかのような錯覚に陥ることなく、御子イエスを私たちの救い主として信じ告白し、この地上での歩みを輝かせて頂きましょう。