すべての良きものを感謝する生活

しかし、御霊が明らかに言われるように、後の時代になると、ある人たちは惑わす霊と悪霊の教えとに心を奪われ、信仰から離れるようになります。それは、うそつきどもの偽善によるものです。彼らは良心が麻痺しており、結婚することを禁じたり、食物を断つことを命じたりします。しかし食物は、信仰があり、真理を知っている人が感謝して受けるようにと、神が造られた物です。神が造られた物はみな良い物で、感謝して受けるとき、捨てるべき物は何一つありません。神のことばと祈りとによって、聖められるからです。
                  テモテへの手紙第一4章1節~5節 

今日は七夕。七夕の起源は中国で、働き者の男女が結婚したら、ちっとも働かなくなってしまい、引き離されて年に1回だけ会うことを許されたという民間伝承で、ちゃんと働けという教訓でした。ちなみに日本の七夕は、もともとお盆の一部、祖先供養のお祭りだとか。それが今では、恋人同士が出会う話に変えられています。人間の作る宗教は、時代の風潮や人間の勝手な都合でどのようにでも変えられるものです。しかし、人生の中では変えてはいけないものがあります。今日は聖餐式です。今も変わらないイエスの救いの事実に感謝しましょう。
今日の箇所は、パウロが、彼の弟子のテモテに対して書き送った個人的な指導の手紙です。教会では、クリスチャンに対する神からの指導の言葉として受け止めています。この当時も、イエスの十字架から年月が流れ、教会が誕生し、教会が充実すると同時に、神の言葉をねじ曲げる人々の動きも起こってきたのです。それを踏まえてパウロは、間違った教えがあることを知った上で、信仰の変わらぬ真理に立ち返りなさいと指導しています。
私たちには、クリスチャンとしての人生観が与えられています。そのど真ん中にあるのは、すべてのことに感謝できるということです。どうして感謝できるか、理由を学びましょう。

1.与えられたすべてのものに感謝する

4節にあるように、クリスチャンとなった時に、すべてに感謝できる者へと変えられるのです。誰かを嫌ったり、過去を捨てたいと思っているうちは、まだ古い生き方を引きずっているのです。イエスを信じると、パウロがローマ書で言っているように、患難さえも喜ぶことができます。それは、自分の力でがんばって、すべてを愛し、受け入れるのではありません。イエスに結びついていると、すべての人が救われるよう願っている神の愛を知るので、人を憎む人生から解放されていくのです。また、とんでもない試練さえ、神の奇跡やしるしをいただくチャンスにもなるのです。嫌な気持ちで生きる必要はありません。いつも感謝をもって歩みましょう。

2.神によってすべてが聖められる

世の中は栄枯盛衰、大成功した人々も長くは続きませんが、神の言葉は永遠に変わりません。常に神の言葉に立ち返り祈る時、神の力が働いて、私たちの心を守り聖めるのです。
イエスは、神の存在と御業を現わすために来られただけではありません。十字架での罪の贖いの効力は、全人類、すべての時代に及ぶのです。ですから、他の宗教のように難行苦行や行ないの結果、救われるというのではなく、イエスによって救われたというところからスタートすることができるので、感謝なのです。主によって新しい人生を歩む時、感謝が基本です。その私たちには、常に救いときよめ、聖なる霊の働きが続くのです。今日の聖餐式で、このクリスチャンの原点に立ち返りましょう。
不平不満から解放され、感謝をもって歩みましょう。イエスを信じる者にとって、捨てるべきものは何もありません。神の言葉と祈りによって、すべてのことは聖められているのです。自分でしゃにむにがんばって救いを求める必要はないことを感謝しましょう。