恵みに生きる

主イエスの恵みがすべての者とともにあるように。アーメン。                                                             ヨハネの黙示録22章21節 

神の言葉、聖書をしめくくる1節、その中心にあるのは「恵み」です。すべてはここに向かい、ここに至る、それが「恵み」なのです。ギリシヤ語で「カリス」。語呂合わせで覚えるなら、「借りすぎて、返しきれない、主の恵み」。私たちは、神様に借りがある、借りだらけ、返しきれない恵みを受けている者です。恵みとは、そんな恵みをもらえるはずのない者に、惜しみなく与えられる神からの贈り物です。
そして、聖書が最後に「恵み」に至るように、私たちの人生も「恵み」に至る、「恵みに生きる」のです。そのために与えられた命なのです。
「恵みに生きる」、そのために大切な3つのこと。

1.空の器となる

私たちには、何かもらったものでないものなどありません(参照Ⅰコリント4:7)。みんなもらいもの、生かされているだけで、恵みなのです。もらっていないかのように誇るのはやめて、へりくだりましょう。自分を低く、無にし、空の器になりましょう。
Ⅱ列王記4章で、預言者エリシャがやもめに告げたように、主の恵みを受けるために必要なのは、空の器です。ルターも、「神は、無から全てを造られた。だから、私たちも無にならなければ、神の創造のわざを見ることができない」と言っています。無になることです、空の器になることです。
「私自身は完全に悪い人間だけれど、ただキリストを信じているゆえにのみ、天国に入れてもらえると信ずる」と言い、花のようにふってくる恵みを「この手のひらに受けとろうと思う」と歌ったクリスチャンの詩人・八木重吉のように、私たちも、余計なものは捨て去って、空っぽの手のひらを差し出して、恵みを受け取りましょう。

2.苦しみも恵み

人生には恵みばかりでないと嘆き、「正しい者が、なぜ苦しみを受けるのか」と問う人もいるでしょう。しかし、神の前に完全に正しい人はいません(参照ローマ3:10)。へりくだりましょう。そして、苦しみも神からの恵みと受けとめて、苦しみに会ったことは幸せでしたと言えるなら、この人生に恐れるものは何もありません(参照ピリピ1:29、詩篇119:71)。
主の十字架という苦しみから、最高の恵み、救いが与えられたことを信じる私たちは、苦しみからも幸せが生まれる、苦しみも恵みと信じることができるのです。そして、忘れないでください、私たちには、苦しみのない天国の恵みが約束されていることを。

3.恵みの贈り主の愛に触れる

主は、様々な恵みを与えて下さいます。しかし、最高の恵みは、主ご自身なのです。主に触れるとき、私たちは変えられます。主の恵みの愛に触れるとき、誰でも変えられます。お返ししきれない恵みに、それでもお返ししないではいられない感謝、主を愛さずにいられない喜びに生きる者に変えられるのです。それが、恵みに生きることなのです。
恵みとは、主が与えてくださるものではなく、主ご自身だと気づくのです。私のために、命まで恵んでくださる主の愛、私たちの心が、魂が探し求めているものは、この恵みなのです。「主イエスの恵みがすべての者とともにあるように。アーメン。」