驚きとギャップを生み出す信仰

彼らはペテロとヨハネとの大胆さを見、またふたりが無学な、普通の人であるのを知って驚いたが、ふたりがイエスとともにいたのだ、ということがわかって来た。そればかりでなく、いやされた人がふたりといっしょに立っているのを見ては、返すことばもなかった。                                                                     使徒の働き4章13節~14節 

今年もいよいよインド伝道が始まります。1967年、1人の牧師の心から始まった「世界宣教ビジョン」が教会のビジョンとなり50年の年月が経ちます。「全世界に出て行き福音を宣べ伝えよ」という主からの大宣教命令に従い、続けられてきたこの働きは、今日もその輝きを失いません。兄弟姉妹のお祈りに支えられ、今回もまた伝道に行けることを心から感謝しています。
最近のニュースで、三浦雄一郎さんが、エベレストに史上最高齢で登頂し、体の痛みを嘆いてもおかしくない80歳という年齢で登りきったギャップは、世間を驚かせました。また、小学校6年生の小林凛君が俳人として本を出版し、その名もランドセル俳人。小学生にして大人でも難しい俳句ということが、人々に感動と驚きを与えています。これらは喜ばしいギャップですが、世の中には悲しいギャップもあります。けれどもイエスを知る私たちには、素晴らしい喜びと感動、人生の大きな変化というギャップがあることを心から感謝したいと思います。
今日の聖書箇所の少し前には、ペテロとヨハネが美しの門で足の不自由な男を癒した記事があります。その出来事はエルサレム中の噂となり大祭司たちは彼らを尋問しました。人々が、どうしてそのようなことが起こりえようか、というような大きなギャップを主は私たちにも与えてくださいます。

1.無学なただ人の大胆さというギャップ

13節に、ペテロたちは無学な普通の人だったとあります。この当時の無学な普通の人とは、今では想像できないほど身分も低く、基本的な人権も命の保証もない小さな存在です。けれども、聖霊が与えられた彼らは、その前に出ればひれ伏すしかないような大変な権威を持つ大祭司たちの前で、大胆に証し始めたのです。読み書きもできないただの漁師が、イエスによって堂々と、人々が圧倒されるような存在感を放ちながら主の働きのために用いられました。神が私たちの人生の中に働かれる時には、ビックリするようなギャップが生み出されるのです。

2.生まれつきの病人が癒されたギャップ

14節や16節にあるように、説得力のある言葉でペテロとヨハネが語っている横で、あの美しの門にいた足の不自由だった男が今は立っているのを見て、大祭司たちは返す言葉もなく、それを認めるしかありませんでした。神が働かれる時には、人々が驚くような、腰を抜かすような差異、ギャップが生み出されるのです。鍵はどこにありますか? ペテロ、ヨハネは無学なただ人でしたが、イエスが共におられたのです。「見よ。わたしは世の終わりまで、あなたがたと共にいる」とのイエスの約束は、あなたが知っている以上に、途轍(とてつ)もなく大きな祝福なのです。イエスが共にいてくださるから、イエス・キリストの御名によって祈ることができ、事態は変化するのです。そして、最も大きなギャップは、罪人である私たちが、イエス・キリストによって救われるということです。
今回のインド伝道も、イエスの御名に権威があり、病や悪霊からの癒し、神の奇跡が現され、人々が救われるように続けてお祈りをお願いします。主の驚きとギャップの御業を期待して、インドの地に福音を宣べ伝えに行ってきます。