幸福と健康に至る道

心の曲がった者は幸いを見つけない。偽りを口にする者はわざわいに陥る。愚かな者を生む者には悲しみがあり、しれ者の父には喜びがない。陽気な心は健康を良くし、陰気な心は骨を枯らす。悪者は人のふところからわいろを受け、さばきの道を曲げる。悟りのある者はその顔を知恵に向け、愚かな者は目を地の果てに注ぐ。

                         箴言17章20節~24節 

人は皆、幸福と健康を求め、人生哲学や健康関連の本は、世の中に溢れています。しかし、神が私たち人間の幸福、健康に関心を持ち、その答えを持っておられます。ヨハネの手紙第Ⅲ2節にあるように、神は私たちが、全ての点で幸いで健康であることを望んでおられます。そして、この箴言には、世の中の教訓とは違う、人が幸せで健康であるための神からの教訓が満ちています。

1.心のあり方が幸福と健康の鍵

箴言の17:20-22「心の曲がった者は幸いを見つけない。偽りを口にする者はわざわいに陥る。愚かな者を生む者には悲しみがあり、しれ者の父には喜びがない。陽気な心は健康を良くし、陰気な心は骨を枯らす。」や15:13「心に喜びがあれば顔色を良くする。心に憂いがあれば気はふさぐ。」、14:30「穏やかな心は、からだのいのち。激しい思いは骨をむしばむ。」などを見ると、心と幸せ、健康が結びつけられて語られています。心のあり方が、幸せを見つけ、健康にするということです。
一昨日、県外で集会後テレビを観ていました。同じ牛肉を国産と外国産だと偽って通行人に感想を聞いてみると、予想どおり、国産と言われた肉の方が美味しいと圧倒的な確率で答えていました。これはひとつの暗示ですが、暗示によってでさえ人間は幸福になったり失望したりするのです。それならば、魂の深い部分がどのような状態であるかは、私たちの幸せや健康の大きな鍵となるのです。

2.心のゆがみを整えられる

幸福を失い健康を損なった時、表面的な部分を改善しても根本的には良くなりません。対処療法では本当に幸せになることはできないのです。その原因から取り扱う必要があります。
詩篇139:24には、私の心は間違っていないでしょうか、その心を取り扱い、正しい道に導いて下さい、と書かれています。私たちも、表面的には問題がなさそうでも、実はどこかが歪んでいないか、自分が気づかずにいるものまでも、神に整えていただきたいという祈りを捧げましょう。

3.福音に焦点を合わせる

では、心のゆがみをちゃんと整えていただくためには、どうすればいいでしょうか。箴言17:24には「悟りのある者はその顔を知恵に向け、愚かな者は目を地の果てに注ぐ。」とあります。幸せを見いだすことのできる人は知恵に向かって照準が定まっているのです。では、知恵とは何でしょうか。コリント第Ⅰ1:24に「キリストは神の力、神の知恵なのです。」とあるように、聖書の言う知恵は、この世の知恵ではありません。キリストの福音こそが知恵であり、これに目が向けられているかどうかです。
私たちは教会に来ていながら、何を見ているでしょうか。福音ではなく人ばかり見ていないでしょうか。福音という私たちを救う完全なものが与えられているのです。イエスは、遣わした70人の弟子たちに対し、悪霊を追い出す力があることを喜ぶより、あなたの名が天に書き記されていることを喜ぶべきだと言われました。福音に焦点を合わせることで心のゆがみを整えていただき、共に幸いな歩みをしましょう。