主は近いのです

いつも主にあって喜びなさい。もう一度言います。喜びなさい。あなたがたの寛容な心を、すべての人に知らせなさい。主は近いのです。何も思い煩わないで、あらゆるばあいに、感謝をもってささげる祈りと願いによって、あなたがたの願い事を神に知っていただきなさい。そうすれば、人のすべての考えにまさる神の平安が、あなたがたの心と思いをキリスト・イエスにあって守ってくれます。                      ピリピ人への手紙4章4節~7節

風も雲も空の色もすっかり秋になりました。「秋深き 隣は何をする人ぞ」、300年前の芭蕉の俳句を口にすると、言葉を通し、時間や空間を超え、まるで隣どうしのように昔の人と心がつながる気がします。
さらに私たちは御言葉を通し、神様とつながる恵みを頂けます。いつも喜び、なんにも思い煩わないで感謝して祈り、人のすべての考えにまさる神の平安で心は守られる…、その素晴らしい恵みの鍵となる言葉は「主は近いのです」。原文のギリシア語「キューリオス エングス」と口にすると、時間も空間も超えて、聖書の人々と、心と心がつながるようです。
「主は近いのです」、この御言葉の恵みは…、

1.あるべき所に引き戻す恵み

寛容な心を失い、ゆるせない思いに捕らわれていても、ゆるしそのものである主が近くにおられると知るなら、ゆるしと寛容、あるべき信仰に立ち返ることができます。また、霊的な距離の近さだけでなく、時間的にも「主は近い、主とお会いする時は近い」と知るなら、憎み合う場合ではないと気づきます。今日、世界が終るとしたら、そのかけがえのない時間を争い事などにムダに使いはしないでしょう。二度と会えない人に語る言葉は、互いに傷つけ合う言葉ではないと知るでしょう。「主は近いのです」。そこから、寛容が、ゆるしが始まるのです。

2.今ある所に感謝し喜ぶ恵み

あらぬ所に迷い込んでいた私たちの心も、「主は近いのです」、その御言葉により、あるべき所に引き戻されます。そして、今ある所に感謝し、喜ぶことができるのです。私たちの国籍は天にあります、それが喜びの源泉です。「主は近いのです」。主がおられる所が天国です。永遠の喜びです。その主は近いのです。だから喜ぶのです。私たちが苦しむとき、共に苦しみ、愛とあわれみによって私たちを救い、昔からずっと背負い、抱いて来られた「主は近いのです」(参照イザヤ63:9)。その近さは、「見よ。わたしは手のひらにあなたを刻んだ」という、主の手のひらにある、それほどの近さなのです(参照イザヤ49:16)。だから、苦しみの中で主を近くに感じ、私を強くしてくださる方が近くにおられると知るなら、どんな境遇にも感謝することができるのです。栄光の富をもって、必要のすべてを満たしてくださる方が近くにおられると知るなら、何もかもゆだねて、人のすべての考えにまさる神の平安に包まれるのです。
主が近くにおられる、この所で、今置かれている、ここで、私たちは、喜び、感謝し、平安に包まれるのです。「主は近いのです」。

3.ますます主に近づき前進する恵み

主は近いだけでなく、近づいてくださいます。神のあり方をかなぐり捨てて、この地に来てくださった主は、今も近づき続けてくだっています。私たちに、この世界のすべての人々に。迷いの中から、あるべき所に引き戻すために。今生かされていることを喜び感謝し平安に包まれるために。主は今も近づいてくださるのです。だから、私たちも主に近づいていくのです。うしろのものを忘れ、ひたむきに前のものに向かって、主に近づいて進むのです。
すべての人に、主が近づき、主の救いが届きますように。「キューリオス エングス。主は近いのです」。