御子の誕生による私たちへの恵み

…羊飼いたちが、野宿で夜番をしながら羊の群れを見守っていた。すると、主の使いが彼らのところに来て、主の栄光が回りを照らしたので、彼らはひどく恐れた。御使いは彼らに言った。「恐れることはありません。今、私はこの民全体のためのすばらしい喜びを知らせに来たのです。きょうダビデの町で、あなたがたのために、救い主がお生まれになりました。この方こそ主キリストです。あなたがたは、布にくるまって飼葉おけに寝ておられるみどりごを見つけます。これが、あなたがたのためのしるしです。」…         ルカによる福音書 2章1節~14節

クリスマスの集会が連日続いていますが、皆さんのお祈りに支えられて体調も守られ、多くの人々から、感動のご報告をいただいています。これはひとえに私たちが一生懸命お伝えしようとしているイエスが今も生きて働いておられる証明です。
今日の聖書箇所は、おなじみのルカによるイエス・キリストの誕生物語です。考えようによっては、聖霊により処女が妊娠、身重の妻を連れての旅、宿屋もなく家畜小屋での出産、赤ちゃんは飼い葉桶…、二度とこんな旅はしたくないと言うこともできます。しかし、イエスの誕生の物語をどのように受け止めるべきか、御使いによって語られています。「この民全体のためのすばらしい喜びを知らせに来た」。

1.恐れや不安ではなく喜びと恵み

羊飼いは、天使に怯えました。権威ある人が現れるとしばしば、社会の底辺で生きる人々は、男は殺され女子供や財産は奪われたような時代です。また、神様と言えば、何かをしなければ祟ったり呪ったりという考えが一般的です。
しかし、救い主イエスは、寝るまもなく人々に神の愛を語り、悪霊を追い出し病をいやし、私たちの罪を全部背負って、十字架にまでかかって死んで下さいました。私たちが何かをしなければならないのではなく、私たちに命を下さった救い主がおられます。私たちにはその福音が与えられているのであり、不安になる必要はありません。
イエスの誕生により、私たちはのびのびと喜んで歩むことができるのです。

2.祝福と恵みを与えて下さる救い主

私が大学生だった頃、突然美しい女性の声でアポイントの電話がかかり、「おめでとうございます!当選しました!」と言われ、出かけていくと単なる英語の教材のセールスでした。お金を払うのは私という、私にとって全然おめでたくない話。
でも、天の御使いは違います。自分の都合に合わせた「おめでとう」ではなく、本当に私たちのための救い主が生まれたという知らせです。御子イエス・キリストの命さえ私たちに与える愛の神は、奪うのではなく、恵みと救いを与える神です。

3.寄り添って下さることを決意した救い主

救い主、主の主は王として来られることを当時の人も期待していました。しかし、救い主イエスは、脚光を浴び、宮殿で生まれたのではなく、馬や牛のえさ箱をゆりかごとされました。救い主なる神は、私たちを支配するのではなく、私たちと同じ目線以下にへりくだって来られ、イエスはすぐそばにいて下さるのです。私たちは、自分が選挙で選んだ議員さんに会うのも簡単ではありません。しかしイエスは、私たちととことん共にいて下さいます。
その後、15-16節で、羊飼いたちは、御使いの言葉を聞いて出かけて行き、救い主を探し当てました。それを他人ごとで終わらせず、自分たちのものにしたのです。
クリスマスの解釈を間違ってはいけません。それは、私たちみんなにとって、すばらしい喜びの知らせなのです。自分自身で、救い主をちゃんと見いだしておきましょう。