クリスチャンの信仰に備えられているいやし

…この家の主婦の息子が…ついに息を引き取った。彼女はエリヤに言った。「…あなたは私の罪を思い知らせ、私の息子を死なせるために来られたのですか。」彼は彼女に、「あなたの息子を私によこしなさい。」と言って、その子を彼女のふところから受け取り、…その子を自分の寝台の上に横たえた。…主はエリヤの願いを聞かれたので、子どものいのちはその子のうちに返り、その子は生き返った。その女はエリヤに言った。「今、私はあなたが神の人であり、あなたの口にある主のことばが真実であることを知りました。」                                               第1列王記17章17節~24 節

8月の後半を迎えていますが、夏の疲れや残暑によって、体や心が弱くなっていませんか。神の恵みの中で癒され日々歩んでいきましょう。
8月の前半には、教会の夏の行事が次々行われ、深い恵みにあずかることができたことを心から感謝しています。単に行事をこなすのではなく、イエスが主役であり、そこにある神の恵み、祝福を頂くことが肝心です。私たちの暮らしや心の中でも、イエスの命が流れて生きていることが大切です。ただクリスチャンになったというだけではなく、その救われた中で神の恵みや、主の素晴らしさを実体験し、普段の生活の中で信仰を具体化していきたいと思います。
今回の箇所に出てくるエリヤは大預言者だと私たちは知っています。しかし、この物語で息子を亡くした女を含め、この当時の人たちはまだ、本当にエリヤが、神のお言葉を代弁する預言者なのか知りませんでした。けれども彼女は24節「…あなたの口にある主のことばが真実であることを知りました。」と語るのです。何によってエリヤは預言者であることを認められたのでしょうか。それは、死んだはずの息子がエリヤの祈りによって生き返った神の御業を見て、彼女は信じたのです。

1.いやしはクリスチャンに備えられている

いやしは、信仰を働かせて、やっとの思いや努力で辿り着くゴールではなくて、信仰者に当たり前に備えられているものなのです。あなたにも備えられている信仰を用いましょう。コンピュータや携帯電話などには、備わっているけれど、使われていない機能というのがたくさんあると思いますが、イエスがいのちまで捨てて、神と私たちを結びつけてくださった信仰にはあなたの気付いていないものすごい恵みが備えられているのです。備えられたその恵みの1つがいやしなのです。

2.試練や悩みを超える恵み

息子を亡くした彼女は、エリヤと出会う前も、やもめとして一人で子どもを育て、貧しさの中で生活をしていました。ところが、かけがえのない息子まで亡くしてしまったのです。どうして、自分だけがこんなにも不幸が続くのかと嘆き、神様とエリヤに文句まで言いました。私たちもそういう時があります。しかし、罪や悪の力、不幸はたくさんあっても、それらの力よりも神の恵みと祝福はもっと大きいのです。ローマ5:20節「…罪の増し加わるところには、恵みが満ちあふれました。」とあるように、罪や悩みをはるかに超える神の恵みがあるのです。だからこそ、私たちの人生は絶望で終わることはありません。

3.いのちそのものが祝福される

ヨハネ20:31節「…イエスの御名によっていのちを得るためである。」と主は語られます。イエスを通して、神は私たちのいのちそのものを祝福してくださいます。いやしは遠く離れているものだとは思わないでください。救われた時から私たちに標準装備としてのいやしの賜物が与えられているのです。イエスの御名によって祈る時、私たちのいのちは祝福されます。「わたしは主であって、あなたがたをいやす者である。」と神が約束されているのです。主を信頼し、どんな力よりも大きい神の恵みを頂きましょう。