「生きた教会にある奉仕・交わり・伝道」

…タビタ(ギリシヤ語に訳せば、ドルカス)という女の弟子がいた。この女は、多くの良いわざと施しをしていた。…彼女は病気になって死に、…屋上の間に置いた。…ペテロが到着すると、ドルカスがいっしょにいたころ作ってくれた下着や上着の数々を見せるのであった。ペテロは…ひざまずいて祈った。そしてその遺体のほうを向いて、「タビタ。起きなさい。」と言った。すると彼女は目をあけ、起き上がった。そこで、ペテロは手を貸して彼女を立たせた。…このことがヨッパ中に知れ渡り、多くの人々が主を信じた。…                                               使徒の働き9章36節~43節

夏本番となりましたが、暑さに負けずにイエスによって喜びのあるハツラツとした歩みをさせて頂きましょう。教会だけではなく地域でも夏の行事などがあり、たくさんの人々が集まっています。その中で、みんなが一緒に笑って楽しんでいるのを見ると、そういう時間はやはり大切なことだと感じます。一人の時間を持つことは大切ですが、一人ぼっちではいけません。神が造られた人間は、一人で生きるようには造られてはいません。アダムの時から神の原則は変わりません。一人ぼっちで過ごすのでは、本当の喜びや幸せを感じることができないのです。人間関係には辛いことや悲しいことがあり、いつも楽しいことばかりではありません。しかし、本物の人との交わりがないと私たちの人生も本物にはなりません。今月は、七原則にもう一度立ち返ってメッセージをしていますが、今日は最後の3つ、奉仕、伝道、交わりをご一緒に分かち合いたいと思います。

1.奉仕の業は生きていた

この物語が始まったときには、もうドルカスは死んでいました。死んでいたから何も起こらなかったかというとそうではありません。ドルカスは死にましたが、彼女がした奉仕の実はまだ生きていました。この時代、身寄りのない女性たちのためにドルカスは衣服をたくさん作ってあげていたのです。ドルカスはいなくなっても、女性たちを包んでいる衣服には生きた愛があり温もりがあったのです。ドルカスは自分のできることで、人への施しを通して神に奉仕を奉げていたのです。イエスは私たちのために、命まで与えて仕えてくださいました。私たちも何かひとつでも主のために愛をもって奉仕をし、そこから仕える喜びを感じたいと思います。いくら自分では小さく思えても自分にできる範囲で愛をもって奉仕をすることで神は喜んでくださいます。

2.生きた交わり・伝道

38、39節にもあるように、女性たちはペテロを呼び、ドルカスが作ってくれた衣服を見せ、涙を流しながら次々と彼女のことを証ししました。そこにはただ動員されて集まった人々ではなく、クリスチャンたちの生きた交わりがありました。私たちはただの見せかけではなく、心から誰かのためにとりなしをし、祈り、また証しをするという、イエスが中心におられる交わりを分かち合うことができます。そしてまた、主によって生き返ったドルカスのことが、ヨッパ中に知れ渡り多くの人々が主を信じたのです。どうして、人々に知れ渡ったのでしょうか。そこには町中の人の証しと伝道がありました。主が現してくださった素晴らしい業を人々は語らずにいられなかったのです。私は牧師ではないから、神学校に行っていないから、伝道はできないとは思わないでください。神がしてくださった恵みを身近な人に話せばよいのです。それが証しとなり伝道となるのです。伝道の原点は私たちのお喋りからです。信仰の七原則を通して、祝福された神の体験をし、裁き合うのではなく、励まし合う信仰者として歩みたいと思います。弱くて足らないものだからこそ、聖霊の働きに助けられ、神の家族の交わりの中で常に成長し続け、奉仕し、伝道したいのです。