「礼拝と御言葉によるいやし」

…その日、三千人ほどが弟子に加えられた。そして、彼らは使徒たちの教えを堅く守り、交わりをし、パンを裂き、祈りをしていた。…信者となった者たちはみないっしょにいて、いっさいの物を共有にしていた。そして、資産や持ち物を売っては、それぞれの必要に応じて、みなに分配していた。そして毎日、心を一つにして宮に集まり、家でパンを裂き、喜びと真心をもって食事をともにし、神を賛美し、すべての民に好意を持たれた。主も毎日救われる人々を仲間に加えてくださった。                                    使徒の働き2章40節~47節

夏本番が近づき暑さが増していますが、今年の夏は日本全国で“節電”が大きなテーマとなっていますから、より暑さを感じると思います。しかし、夏でしか受けることのできない恵みを夏の行事の中でもしっかりと頂きたいと思います。
今日の箇所は、初代クリスチャンたちの生活の様子です。聖霊の油そそぎが与えられた使徒たちによって、また新たに3千人ほどが救われ弟子に加えられました。弟子たちは、いつも共に交わり、パンを裂き、祈りをしていました。それは、いつも神の御前に立って祈っていたということです。そしてまた、いっさいの物を共有し、献げ合い、必要に応じてみなに分配していました。プラクティカの1年にあたって、もう一度私たちも基本に立ち返りたいと思います。

1.祈りのある生活を自分のものにしよう

あなたの祈りの姿勢はどうですか。忙しい世の中ですが、神との霊的な交わりのある祈る時間さえなくしてはいけません。ひざまずいて何時間も祈りなさいというわけではありません。時間ができたら祈るのではなく、たとえ一瞬であっても祈りを忘れることのないようにしたいのです。祈ることで、私たちの心は神と結びつきます。イエスの生涯を見ると、生きた祈りがあり、常に神と繫がっていたことが分かります。イエスはたくさんの奇跡、御業を現してくださいました。しかし、イエスであっても父なる神に祈りを献げてから御業を行われたのでした。神への祈りは、会話であり、繫がりであり救いの道なのです。
私たちは、クリスチャン同士であっても、互いに話しづらい人がいるかもしれません。しかし同じ神を見上げている私たちは、祈りの中で心を1つにすることができ、交わりができるのです。

2.献げることのできる幸いを喜ぼう

世の中的な考えでは、お金はあった方が良く、金・金・金の世界です。しかし、主を信じる私たちが献げることのできる者に変えられたということは、なんという幸いでしょう。クリスチャンは、全てのものは神から与えられていることを知っています。だからこそ、与えられたものは感謝して献げることができますし、与えられたものだから、人々にも愛をもって施すことができるのです。
しかし、あなたの献金の姿勢が、どこか鈍くなっていることはありませんか。世の中の金銭感覚に振り回されていませんか。
ヨハネ12:3には、ベタニヤのマリヤが非常に高価な香油をイエスの足に塗ったとあります。その香油は売れば、とても高額なお金になるにもかかわらず、マリヤは惜しみなく感謝をもってイエスの足に塗り、献げたのです。イエスはその気持ちを受けとめてくださいました。
私たちも感謝と信仰をもって献げることで、人々へ祝福と喜びを運び、神の奇跡の物語に自ら関わることができる喜びを感じたいと思います。あなたが献げた祈りと献金を神は決して忘れません。祝福へと必ず変えられます。主によって、祈りのある生活、献げる幸いを体験したいと思います。