偉大な救いに含まれるいやし

…イエスは彼らの信仰を見て、中風の人に、「子よ。しっかりしなさい。あなたの罪は赦された。」と言われた。…「なぜ、心の中で悪いことを考えているのか。『あなたの罪は赦された。』と言うのと、『起きて歩け。』と言うのと、どちらがやさしいか。人の子が地上で罪を赦す権威を持っていることを、あなたがたに知らせるために。」…中風の人に、「起きなさい。寝床をたたんで、家に帰りなさい。」と言われた。すると、彼は起きて家に帰った。群衆はそれを見て恐ろしくなり、こんな権威を人にお与えになった神をあがめた。
                           マタイの福音書9章1節~8節

インド伝道の集会の終わりには、癒された人々が舞台に上がり、続々と神の御業を証しする時間があります。その様子を日本の皆さんにも届けたくて、ビデオに収めようとするのですが、人々は神の素晴らしさに興奮状態で音声もきちんと拾えないぐらい喜びの声が上がっていました。そこには、聖霊による真の救いがあったのです。病の癒しよりもさらにすばらしい恵み、イエスとの出会い、罪の赦しがあったのです。
イエスはどれぐらい偉大なお方なのでしょうか。あなたの信仰で、小さくもなり大きくもなります。イエスを過小評価してはいけません。
今日の箇所は、中風の人がイエスのもとに連れて来られた物語です。その人に対して、イエスは「あなたの罪は赦された」と言われ、それを聞いた律法学者たちは、心の中で理屈をこねていました。罪を赦すことができるお方は神お一人であると信じていたからです。
私たちはイエスを救い主と認めているはずです。しかし、救い主とはどんな救いを与えて下さる方でしょうか。2つのことを受け止めましょう。

1.主イエスが持つ救いの力の偉大さ

救いとは、心がきれいになるとか気持ちが楽になるとか、精神的に清められることだというような考えをお持ちではありませんか? しかし本当の救いとは、私たちのこの全存在が新しく変えられて、神の子供としての命が与えられることです。
イエスの救いには、私たちを癒す力も含まれています。救いの中に前提として、癒しが含まれているのです。救いは、神が罪ある人間に与えられる最高の贈り物なのです。5節「『あなたの罪は赦された。』と言うのと、『起きて歩け。』と言うのと、どちらがやさしいか。」とあります。律法学者たちは、イエスを神の子としての権威を持つお方だとは認めていませんでした。「罪を赦す」と言うのは簡単なことですが、外見から罪が赦されたことは人間の目では判りません。しかし、中風の人が癒されるのを見たら、誰もその力を疑うことはできません。
イエスは、中風の人を癒すことによって、ご自分が神の力と罪を赦す権威を持っておられることを人の目に見える形で明らかにされたのです。

2.惜しみなく現される救い主の恵み

私たちが聖書を読む時、イエスが恵みを出し惜しみされる場面があったでしょうか。救い主イエスは、常に救われ、癒され、解放されるべき人々と向き合ってくださるお方です。そこに敵がいようとも、イエスを落とし入れようとする者がいると分かっていても、イエスはその恵みのわざを躊躇することは決してありませんでした。
真の救い主は、自ら私たちと向き合ってくださり、出し惜しみすることなく、神の恵みを具体的な形として現し、与えてくださいます。主イエス・キリストの恵みは昨日も今日も変わることはありません。その恵み、救いと癒しを私たちも自分自身で受け止めたいと思います。