伴いたもうよみがえりの主

キリストは、神の御姿であられる方なのに、神のあり方を捨てることができないとは考えないで、ご自分を無にして、仕える者の姿をとり、…人としての性質をもって現われ、…実に十字架の死にまでも従われたのです。それゆえ、神は、キリストを高く上げて、すべての名にまさる名をお与えになりました。それは、…天にあるもの、地にあるもの、地の下にあるもののすべてが、ひざをかがめ、…「イエス・キリストは主である。」と告白して、父なる神がほめたたえられるためです。                                      ピリピ人への手紙2章6節~11節

この箇所の直前に、自分のことだけでなく周りの人のことも顧みなさい、それは魂の目標であるキリストのうちに見られるものだからと聖書は語っています。心の目を開いてキリストを見つめ、キリストの福音について学びましょう。

1.神の可能性に生きる恵み

聖書は、神が天地宇宙のすべてを造られたと語っています。神は、ご自身の栄光の世界と、涙にくれる弱い私たちの世界を切り離されたまま放置されませんでした。地上の世界で悪の力がはびこり人々は翻弄され、人間の力ではどうしても幸せをつかみ取ることができないと知った時、神は私たちを救おうとして下さいました。私たちから神に向かって道を切り開くことはできないので、神ご自身が人の姿をとり、地上に降って来て下さいました。
私たちには限界があり、自分の健康さえ守ることができず、十分な力やお金もありません。しかし聖書を通し神と向き合う時、ありとあらゆる命の可能性を私たちのために働かせて下さる生けるまことの神と出会うことができます。その恵みを喜びましょう。

2.私たちに寄り添って下さる神

天地宇宙の造り主というと、あまりにも大きすぎて、手の届かない存在かもしれません。しかし、神が人となって近づいて下さり、そればかりか、私たちの一番悲惨で絶望的な死にまで同化して下さいました。私たちが立派でかっこいいから救って下さるのではなく、いつもため息まじりで自分の力だけでは生きていけない私たちにとことん寄り添って下さり、私たちの情けない所も全部背負って下さるのです。

3.永遠の命の恵みにあずかる

なぜキリストの御名が素晴らしいかと言うと、どんな行きづまりでも打ち破る力を秘めているからです。私たちの罪を背負い十字架で死なれたイエスこそ、死の力を打ち破りよみがえられたお方なのです。
それでは、なぜ私たちが聖書を通し本当の救いにあずかることができるのでしょうか。それは、キリストの復活の力が私たちにも与えられるからです。私たちの命が、この地上で肉体をもって生きる間だけの命だとしたら、人は皆、滅びに向かって生きているわけで、そんな哀しいことはありません。しかしイエスを信じれば、肉体の死の向こう側にある神の御前の永遠の命が約束されているのです。

4.あなた自身の救い主イエス・キリスト

人間は、神が造られたものの中で最高で複雑だからこそ、悩みも多いのです。でも、自分の力だけで問題を背負い込まないようにしましょう。「わたしは、世の終わりまであなたがたと共にいる。」と約束されたイエスは、あなたが調子のよい時だけでなく、苦難の時も一緒にいて下さり、救い主として働いて下さいます。あなたは、もはやひとりぼっちではありません。イエスの御名によって、「助けて下さい。」と祈ると、あなたの力やこの世のノウハウを超え、神からの恵みと癒しの力が注がれ、喜びや希望を分かち合う人生が展開していきます。キリストを共に体験していこうではありませんか。