何事も祈るPracticaの一年

何も思い煩わないで、あらゆるばあいに、感謝をもってささげる祈りと願いによって、あなたがたの願い事を神に知っていただきなさい。   そうすれば、人のすべての考えにまさる神の平安が、あなたがたの心と思いをキリスト・イエスにあって守ってくれます。                                                                          ピリピ書4章6節~7節

自分であれこれ判断してくよくよせず、どんな時でも感謝を忘れず神に祈れば、想定を超える神からの平安、守り、導きがイエスによって与えられ、霊肉ともに守られて前進できると聖書は語っています。

.素直に心を注ぎ出して、祈る

第一サムエル記で、ハンナは憂いといらだちのため、祈っていました。整った祈りではありません。一夫多妻の時代、夫のもうひとりの妻には子どもがあり、ハンナには子どもがなかったので、彼女を妬んでいたのかもしれません。しかし、そんな人間くさい祈りさえ神は顧みて下さり、ハンナは男の子を授かり、その子が大預言者サムエルとなるのです。あなたの心の内にある真実が注ぎ出された祈りであれば、神は真正面から受け止め最善の答えを下さいます。

2.勝利するまで、祈り続ける

出エジプト記で、戦いの中、モーセが神に向かい手を上げ祈っている間、ヨシュアの率いるイスラエルはアマレク人に優勢でしたが、手が疲れ下がってくると形勢が逆転してしまいました。そこで、アロンとフルがモーセの両手を支え続けたところ、イスラエルはアマレクを打ち破ったのです。忙しいから教会に行けないと、私たちは戦いの最中に祈ることを忘れてしまいがちです。「この戦いの中から、いつ救い出されるのでしょう。」とこぼしたくなる困難の中でも、あなたが祈れば、勝利の力も神から与えられることを知りましょう。途中で祈ることを止めてはいけません。

3.病や霊的な問題も、祈って勝利する

イエスがおしの霊につかれた少年から悪霊を追い出された物語で、弟子たちが後でこっそり自分たちに追い出すことができなかった理由を尋ねると、イエスは、「この種のものは、祈りによらなければ、追い出すことはできない。」と答えられました。弟子たちは単にイエスのまねをしていただけで本当の信仰の祈りになっていなかったからなのですが、イエスの昇天後、聖霊を受けイエスの御名によって祈ると、どんどん悪霊を追い出せるようになりました。現代の医学でも治せない病もありますが、右往左往する前に癒されるために祈るべきです。私たちの内側には神の命が注がれ、「わたしは主であって、あなたを癒す者である。」と約束されているのです。主による癒しを、祈りの中で確信してまいりましょう。

4.経済的な必要も、恵みを求めて祈る

第三ヨハネに、「愛する者よ。あなたが、魂に幸いを得ているようにすべての点でも幸いを得、また健康であるように祈ります。」とあります。私たちは十字架の贖いにより魂に幸いを得ていますし、病の癒しも祈ると同時に、生活のすべての点でも祝福を得るように祈るべきです。ピリピ書に、「私の神は、キリスト・イエスにあるご自身の栄光の富をもって、あなたがたの必要をすべて満たして下さいます。」とあります。お金や人間関係のことも乏しさはすべて、信仰を通し、神が持っておられる栄光の富で満たして下さいます。勝利の鍵は祈りにあります。あなたも試してみて下さい。必ず神の御業が現わされます。