安易な不信仰に陥らない

イエスは、そこを去って郷里に行かれた。…安息日になったとき、会堂で教え始められた。それを聞いた多くの人々は驚いて言った。「…この人に与えられた知恵や、この人の手で行なわれるこのような力あるわざは、いったい何でしょう。この人は大工ではありませんか。…」こうして彼らはイエスにつまずいた。イエスは彼らに言われた。「預言者が尊敬されないのは、自分の郷里、親族、家族の間だけです。」それで、そこでは何一つ力あるわざを行なうことができず、…イエスは彼らの不信仰に驚かれた。    マルコの福音書6章1節~6節

私たちは、「もし、イエスがここにいて直接触れて下さったら、病なんかすぐ治るのに。」と、しばしば思ってしまいます。けれども、聖書の物語を見ると、実際にイエスが目の前にいて下されば、すべてがうまくいくかと言うと、そうではないのです。
今日の聖書では、文字通り、救い主イエスがそこにおられました。イエスが、神の愛を説き、人々の罪を赦し、悪霊を追い出し、病を癒して下さる神の御業を、人々の必要のために行なおうとしておられました。しかし、御業はごく限定的にしか現わされませんでした。何が問題だったのでしょうか。それは、人々の心の中に不信仰というマイナスの力が働いていて、もったいないことに、イエスが目の前にいて下さったにも拘わらず、彼らの多くは神の祝福をいただけなかったのです。それは、イエスの故郷で起こった出来事でした。  
私たちは、教会に来て祈る、結構まじめな信仰者だと思いながら、どこかで不信仰に陥ってしまう可能性があります。不信仰とは具体的にどんなものか、三つのことを注意して学びたいのです。

1.神の御業を見ながら、疑ってかかる態度に注意!

今、世の中では、物を売るために良い印象を与えようと、色んな工夫がされています。確かに賢く正しいものを見抜かなければなりません。また、詐欺が横行する世の中とは言え、何でもかんでも疑わなければならないわけではないのです。懐疑的になり、善意や愛のあふれる行為にさえ、「どうせ人から良く思われたいから、やっているんでしょ。」と批判や皮肉を言ってしまうなら要注意です。
私が自分につくづく言い聞かせているのは、何でも疑い続け、疑い深い人間で終わるより、素直に信じ、人には騙されても、神の祝福だけはいただける者でありたい、ということです。決して、安易に騙されてはいけません。だからと言って、正しいものを見抜こうとし過ぎるあまり、疑うことしかできない人になってはいけないのです。イエスの郷里の人々はそこで失敗しました。インチキの奇跡で騙そうとする癒し主を名乗る人がいて、その人たちとイエスを一緒にしてしまいました。イエスの愛にあふれた御言葉、癒しの御業を見、不思議がりつつも、「いったい、どこでこんな知恵を学んできたんだ。どんなカラクリがあるんだ。」と疑い、不信仰となったために、ナザレの人々は神の御業を体験できなかったのです。

2.イエスを人間と同レベルに引き下げない

故郷の人々は言いました。「こいつは、大工の子どもじゃないか。」当時の人にとっても、重んじられる職業や立場は、王様や貴族、人の命を救う医師、大金持ちの人だったのでしょう。身近にいて家を建ててくれる大工さんのことは庶民だと思い、重んじませんでした。「単なる凡人じゃないか。母親のマリヤや兄弟、妹のことも良く知っている。」と人々はイエスを身近なレベルにまで引き下げたのです。
私たちの心の中のつまらぬ優越感が働く時、イエスに対しても小ざかしく偉そうに振る舞いたいという愚かな思いが働き、不信仰になりますから気をつけましょう。キリストが神の栄光を捨て、「わたしは、あなたがたを友と呼ぶ。」と人の姿をとり、へりくだって来て下さったこと自体、本当にありがたいことなのに、どうしてイエスをさらに引きずり降ろそうとするのでしょうか。感謝こそすれ、イエスを踏みつけるようなことをしてはならないのです。

3.イエスに私たちの限界を押し付けない

「信仰歴20年、30年。イエスのことも知っているし、私が祈っても癒されないのもわかっている。」とあなたの経験がイエスの御業を割り引く理由になってはなりません。
確かに、甘やかされ過ぎて、あるべき緊張感を失う時、本来の恵みがなくなります。イエスは親しいからと言って、べたべた一緒にいるだけの存在でしかないのでしょうか。いいえ、イエスは私たちを癒し私たちの命を変え、奇跡を起こす救い主であることを忘れてはなりません。
「イエスは、彼らの不信仰に驚かれた。」とあります。すねたりひねくれたり理屈を通そうとする、私たちも持ってしまうような愚かな態度が不信仰につながったことに注意したいのです。イエスの御業を報告する記事を読み、驚き、その後どちらに転ぶかです。「やっぱりイエスって素晴らしい。」と素直に感謝し、へりくだって神の恵みに与かろうではありませんか。